リンゲルブルム『ワルシャワ・ゲットー』ゲットーのユダヤ人の悲劇の記録。ヨーロッパ人全体に蔓延の反ユダヤ主義も告発
普通、ナチスのユダヤ人迫害は強制収容所、絶滅収容所へ
各地のユダヤ人を送り込み、抹殺される状況を思い浮かべる
が、もう一つ、ゲットー、ユダヤ人居住区をナチスが設定し、
ユダヤ人を押し込める地獄がある。その典型はワルシャワ・
ゲットーである。まさにその当事者が綴った記録である。
筆者はEmmannuel Ringelbulm,エマヌエル・リンゲルブルム
、1900年ポーランド東部、ガリツィアの生まれ。ワルシャワ
大学卒の歴史学者だった。抵抗運動指導者としてゲットーの
武装蜂起に加わり、1944年3月、処刑された。この綴った記録
は戦後、土中から発掘されたものだ。
凄惨極まる記録である。想像を絶すると云ってよいだろう。
1939年、ポーランドのワルシャワを占領したドイツ軍、その
翌年、ワルシャワ市内のわずか4平方kmの中に50万人ものユダ
ヤ人を押し込めた。
居住環境は最悪、そもそも絶滅思想でナチスドイツは行って
いるわけである。飢餓と不衛生と病気、1943年には50万人もの
ユダヤ人は次々と死んで4万人に減っていたのだ。この激減した
ユダヤ人はゲットー内で武装蜂起、一ヶ月近く戦い、全滅した。
ソ連軍は助けてくれなかった。
よく知られたワルシャワ・ゲットーの話だが、実はゲットーに
入る以前から、ワルシャワのユダヤ人についての詳細で包括的な
記録を書き始め、ゲットー武装蜂起直前にその記録文書を地下に
埋めていた人物がいたのだ。
ワルシャワ大学卒の歴史家という自覚、意識がリンゲルブルム
をして記録を書かせたのだろう。命をかけてこの記録を残すとい
う使命感、問題意識があったはずだ。逃亡の機会を捨ててまでゲ
ット‐にとどまり続け、必死に生き延びて記録を書き続け、武装蜂
起に加わり、一年後、家族とともに処刑された。その記録は処刑
された二年後、四年後の二回にわたって発掘されたものだ。
記録フィルムでもワルシャワ・ゲットーのユダヤ人の悲惨は部
分的でも見ることはできるが、実は黙ってユダヤ人たちは殺され
たわけではない。殺されるまで必死で生き抜いて、抵抗した。
無論、さまざまな人間はいる。信じられないようなユダヤ人もい
たのは事実だ。
だが問題の根は深い、記録にはポーランド人の反ユダヤ主義に
ついて厳しい記述があった、というが戦後のワルシャワでの刊行
ではその部分が削除されているというのだ。それはポーランド人
の大いなる恥部である。ドイツ軍だけでなくポーランド人のユダ
ヤ人迫害も熾烈だったのだ。ヨーロッパ人に広く反ユダヤ主義が
蔓延している、という今に至る歴史的事実、これが重要だ。
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