あの有名過ぎるイタリア映画『道』La Stradaに感じる疑問、きれいごと過ぎないか?描かれぬジェルソミーナの「性」

イタリア映画、フェリーに監督の『道』La Stradaは歴史的
名画とされる。歴代ランキングでも必ずベスト10に入ること
が多かった。一度書いたことがあると思うが、もう一度。
前回はジュリエッタ・マシーナがミスキャストと述べたよ
うな記憶がある。このまだ新米だった女優さん、この時点で
フェリーニの奥さんになっていたのであって、ちょっと身贔屓
が過ぎる気がする。暴言かもしれないが、女優に向いてない人
だと思う。それも個性、としても、この役、純粋な白痴的女を
演じるのは無理な人だ。白痴女に見えないのである。これは前
に書いた。
内容はもうあまりに知られた映画である。荒々しい鎖引きち
切り大道芸人のアザンパノをアメリカ俳優、アンソニー・クイ
ンが演じる。好演である。オート三輪で旅から旅へ、1万リラで
買って女房兼助手的存在の半ば白痴的な女、ジェルソミーナを
ジュリエッタ・マシーナ。ちょっと女優の枠から外れている。
貧乏人の子沢山のジェルソミーナの母、ジェルソミーナの姉も
この鎖切り大道芸の粗野な荒くれに売って、その姉が死んだか
ら妹を、だがあの時代、イタリアはそこまで貧しかったのか。
惨めである。
ストーリーはあまりに有名、後半は捨てられる前後の描写は
なかなかいいし、最後のシーン、数年後、ある町に曲芸団と訪
れたザンパノオ、ふと聞き慣れた歌を聞いた。それはジェルソ
ミーナがいつも歌っていたものだ。ザンパノオは驚くが、洗濯
し、干している女からジェルソミーナの哀れな最後を聞いて、
ザンパノオは慟哭、海辺、渚で倒れて泣き続ける。何だか突如、
人間的になったようでそれまでの演技がウソのように思えてし
まうほどだ。最後でそれまでの演技が否定されたみたいで、あ
まりに不似合いに感情的だ。
音楽が秀逸な映画としても知られる、「道」と「ジェルソミ
ーナ」、哀切に満ちている、とは云えないことはない。だが、
疑問はある。
荒くれの動物的、粗野な男のザンパノオがジェルソーミーナ
をも動物的に扱いながら、肝心の?性生活的な表現が皆無なの
である。ま、時代も時代だし、そこはちょっと、にしても、あ
まりにきれいごと過ぎる。フェリーニが自分の妻のジュリエッ
タを性の対象として演技させたくなかった、のだろうか。そう
かもしれない。最後のザンパノオの人格豹変も何とも作り物め
いて不自然である。

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