円地文子『男というもの』1960,実体験が乏しい?はずの女性がなぜここまで「もの知り」
円地文子の父親は上田万年というお方で基本は国語学者であ
るが肩書がすごくて東京帝大教授、國學院大學学長、神宮皇學
館館長、貴族院議員、・・・・・とまあ、庶民から見たら異次
元な可愛げのない人物である。その次女が円地文子である。
お硬い家庭だったろうと思うが、結果として小説家になった円
地文子の書いた作品は実にこの世の現実、男女関係をえぐいほ
ど表現している。この世の裏まで知り抜いている、という風情
である。
その円地文子がエッセイ風にざっくばらんに,わけ知りな感じ
であり、「男の好色」、「男の浮気」、「男の嫉妬」、「女の
溺れる男」など38項目を挙げて、「男というもの」について述
べた随想である。古書としてのみ入手できる。
男について語るとは女について語るということだが、女性で
ある円地文子が自らを語ることにもなっている。
円地文子は「末っ子で、ことに父親に甘やかされて育ったた
めでもあろう」若い頃は、男の人が「好きになるといえば、ず
っと年上の人、もちろん奥さんや子どものいる人に決まってい
た」という。
また幼い頃、家にいた女好きな書生からえらく可愛がられた
、という。そのことがことで
「どの女にしても、安心して腰を据えてしまえない、男の業み
たいなもの」に心を惹かれる原因になっているという。
究極の上流の知的な家庭に生まれ育った円地文子がかくも男女
の関係の機微に通じたのはやはり源氏物語などの平安文学に通暁
したから、とその想像力というべきだろうか。だから、この本が
説く、わけ知り顔のおばさんの言い分がどこまで正しいのか、読
者も考えるべきだろう。
「女が男を恋する気持ちには、ごく若い時代と、ずっと年をと
ってからは相手を相対的にみないで、かえって純粋なものを選ぶ
ようになると思う」
中年過ぎての恋愛感情が
「少女期のそれと全く違うことは、彼女達の中に、既に男性の
悲しみが深く混ざり合い、しっかり根づいていることである」
どうかな?と思ってしまう。このような考え方にしても、独身
で過ごした女や少女の潔癖感を持ち続けている女には当て嵌まら
ないように思えるし、この本の出版時点で55歳の円地文子にして
いえる経験を積んだゆえの実感だろう。
「父性愛については母性愛ほど語られないが、男の持つ愛情の
中でも最も美しい現れ」ということで、性愛にかんして父性愛の
ことをかなり語っているのも、あの大家だった父親を持った円地
の実感だろうか。
「男女の愛情については。いずれかが父性的であり、母性的で
あることが関係をスムースにすることが多いから・・・・・」
あくまで一つの考えだろう。
作品では妖気を漂わせるものが多い。それらの執念に囚われたよ
うな小説と違って「性の面で男は加害者、女は被害者と思い込むの
はいずれにしても幸福ではない」
しょせんは茶話である。
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