人生、遊びの精神で生きればいい。別に享楽という意味じゃない、ものに囚われない生き方
遊びと云って別にやれゲームだとか競馬でもない。金のか
かる旅行でもない。遊びの精神ということか、この世は金の
かかる「遊び」には溢れているようだ。落語でも「漫才」で
も歌舞伎など芸事からしてそうだろう。欲しいのは生き方に
根づく「遊びの精神」、・・・・・・などと云えば粋な生き
方に徹したかのように自己顕示のようだが、現実、遊びの精
神が希薄すぎた反省で云っているのである。笑いのパターン、
時代の制約、「社会通念」という精神の形骸から離れての「
ものに囚われない生き方」を生活にいかに活かすかである。
右も左もあいも変わらず世間、というよりこの世界、ドグ
マに盲従、世論操作、大衆操作ばかりがまかり通る。それら
を離れて囚われぬ考えかた、そこから通じる遊びの心、不平
不満ばかり云ってもこの世から悪人、愚か者が消え去ること
はないのだから、まずは自分自身である。
何だか社会から爪弾きにされて孤独に生きてきたような自
分をちょっと斜めに見て、フフフと笑ってみるのもいい。そ
のような自分の生き方にあえて遊んでみる、「社会通念」を
蹴飛ばす生き方だ、そこから力が妙にふつふつ、と沸かない
こともないさそうだ。
ともかく人は心、精神ががんじがらめに縛られている。い
たって凡庸な指摘でしかないのは承知しているが、生き方で
それをわずかでも打破したい。年齢?私のように早い時期か
ら重病の極み、明日がなかったような体調、それで曲りなり
、まさに曲がりなりにも生きてこれた、やっといくらか心の
束縛もゆるくなってきたののかどうか、知らないが、人生は
自在な遊びの精神で、あれこれ評価は一切気にしない、これ
から始まる人生は負け惜しみでもなんでもなく、まさしく実
感なのである。真に人生を生きてこなかった、という些かの
歎きもある、それをこれからのバネにしたい。
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