平林良孝『かあちゃんしぐのいやだ』1960,小学三年の男子児童の鋭い視点、「死ぬのいやだ」の福井方言


昭和30年代は子供による日記、作文、文章が出版もされ、ま
た映画化されたりで社会的に大きな影響力を持った時代だっ
た。作文コンクールで有名を馳せた島村姉妹、作文はまさに
栄誉の極み、本も何冊も刊行された。最も話題を呼んだのは
『にあんちゃん』だろう、九州佐賀県の弱小探鉱ではの在日
の兄弟たち、その女の子による日記、これを長兄が光文社に
持ち込んでしばらく放置されていたが、神吉社長が「いつか
のあれ、ちょっと見てみよう」で読み、「これはいける」で
カッパ・ブックスに大ベストセラーになり日活で映画化され、
これも大当たりした。それと、この福井県の小学生児童だっ
た平林良孝による『かあちゃんしぐのいやだ』最初は小学校
が刊行、すぐにカッパブックスから、松竹で有馬稲子主演で
映画化された。・・・・・というのだが、タイトルは印象的
だが、今となれば「はて?」と思ってしまう。

 「しぐのいやだ」は「死ぬのいやだ」の福井方言であり、
最初は在籍の小学校の刊行だったが「死ぬしぬのいやだ」に
タイトルが変更されていたが、カッパ・ブックスでは「しぐ
のいやだ」に戻された。

 著者の小学生、刊行当時は9歳の小学三年生の平林良孝が
一年生のときから書いてきた作文と詩をその小学校の教頭が
まとめたものである。

 小学生児童である著者の父親の仕事は経理であったが、著
者が5歳のときに肺病で斃れ、入院を繰り返したが、著者が
2年生のときに亡くなった。母が見よう見まねで覚えた経理
のしごと、簿記会計やそろばんを人に教えたり、他の店の仕
事を手伝ったり、さらに頼まれた洋裁の仕事をやって家計を
維持し、著者とその二歳上の長男を育ててきた。したがって、
書かれている内容は母の苦労を思う子供なりの考えや、父親
の病気と死について綴られている。文章より、詩が多いのが
特徴である。

 かあちゃんのてはざらざらだ

 ばん いつもかいている

 ぼくが かゆいとかいてくれる

 いいきもちや

 いつも かきおわると

 ぼくは かあちゃんの手や かたをふねる

 「ふねる」とは「揉む」というみの福井方言である


 作文で「Xマスプレゼント」という作文は、母になにかを
プレゼントしようとあれこれ考え、痔が悪くなって、プレゼ
ントのためにためたお金で湯たんぽを買うという冴えない話
である。

 「ぼくは かあちゃんの のんきなところがすきや

  とうちゃんが びょうきでも、そんなにしんぱいしない
  ので ぼくもそんあなにかなしない」

 ただ非常に幼い印象があり、島村姉弟などと比較されるよう
なものではない。父親は天理教信者だったという。「あんちゃ
んの家出」は兄の家出を率直に書いてユーモラスである。ただ、
島村直子、典孝のあまりの素晴らしい文章、また「にあんちゃ
ん」の魅力、個性と比較すると、いささか失望はまぬかれない。

  映画

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