梅崎春生『狂い凧』1963,凧のように揺れ動く人生のアテのなさ。梅崎春生の真の代表作だろう
梅崎春生、1915~1965、享年50歳、福岡県出身、旧制第五
高校から東大文学部に入ったが、ほぼ通学していないという。
ちょうど徴兵世代で軍隊体験を持つ、それを活かした作品『桜
島』でデビューだったか、でも1954年下期の直木賞受賞だが、
受賞作が『ボロ家の春秋』とか、戸川幸夫『高安犬物語』と二
名同時に直木賞、・・・・・・だが。その晩年、といって48歳
での中編小説『狂い凧』、雑誌「群像」に5回連載。生涯の代
表作といっていい。
語り口は焦点が定まらない、あちこちに転がっているような
感じだ。主人公は矢木栄介という名前だが、矢木が古くからの
友人の「私」に何やら語る。なんというか、その話す部分はわ
りと鮮明なのだが、なにせ筋道はないし、気まぐれに語るのだ。
問われても結局は真相、核心にふれない話しぶり、これが作者
んぽ梅崎春生の迷い道のような人生観をそこはかとなく感じさせ、
それが徐々に結晶となるさまは、やはり生涯の代表作の風格はあ
る。『幻化』より上と見る。
矢木栄介とは?だが酔ってバスの階段から転落し、背骨を傷め
、休職中の大学講師だ。そこに、この休暇ともいえる時間に訪れ
てくる友人の「私」にあれこれ話すのだ。脈絡はない。個々の部
分は多少はおもしろいが、別に新鮮な話ではない。
これは自分を語った半自伝、多少は確かに作者の梅崎春生と共
通部分はある。矢木栄介は双子であり、兄か弟か、城介という兄
弟がいる。九州のある県庁所在地に生まれ、だから福岡市だろう。
名前をつけたのは父親の幸次郎でなく兄の本家の幸太郎だという。
で?
「双子の兄弟の中で、勉強ができる子の大学までの学資を出し
てやる。自分に子どもが生まれなかったら、その子を養子にして
貰いうけ、後継ぎとしたい」と幸太郎は幸次郎に申し入れた。
学資を出してもらった、「勉強ができる方」が栄介だった。
城介は中学を中退、東京の葬儀屋に奉公に出され、出征の日に栄
介に人妻を妊娠させた、という秘密を打ち明け、
「思えば父親なんて、あやふやなもんだよ。おれたちだった、
あの母親から生まれたのは間違いないだろうが、父親が本当は誰
か、なんて分からないさ」と言い残して戦争に行った。
城介は戦地の中国で薬物中毒になり、内地帰還を前に自殺する。
栄介は城介が言い残した変な言葉が気になって、そもそも我が子
に名前さえつけなかった「父親」を訝しリ、名付け親の幸太郎を
疑って憎むようになった。
と多少は確かにおもしろいかも知れないが、でもさしたる話で
もない。作者の梅崎春生は栄介の核心を避ける話しぶりを通し、
「要する人生なんてアテにはならない」という思いを浮かび上が
らせるようだ。それはタイトル「狂い凧」がしめす、あてどもな
く漂う様子に通じる。
梅崎春生、生涯の真の代表作だろう。
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