矢野健太郎『数学むだばなし』新潮社、数学きらいが読むと、さして面白くはないだろう

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 矢野健太郎さんだが、高校の学習参考書、例えば「解法の
テクニック」など、多くの高校生向き参考書に名前を貸され
ていた。まあ、いたって紳士である。岡本太郎さんとは姻戚
関係にあった。両者並んだ画像もあったのだが。1912年、明
治45年の東京のお生まれ、戦後、1950年から1953年までプリ
ンストン高等研究所で、・・・・・とまあ、数学のできる方
などは正直、縁がない、わけだが、それはそれで読んで多少
は教えられそうな点はある。数学は高校時代、受験での苦い
記憶ばかりで恨み骨髄なのだが、これがそのまま人生の暗さ
に直結するということだ。昔、数学、型破りの京大卒の小針
先生、大学受験ラジオ講座もやられていたが、そのある本に
「数学は教育段階でひたすら自信喪失の衆愚を与えるために
徹底的に利用されている」でも小針あきひろ先生みたいな、
ものわかりがいい数学者ばかりではない。小針先生はあの広
中先生と京大で同級だったな、山城高校と柳井高校、

 ま、恨み重なる数学、正直、才能がないとちょっと難しい
のは高校からと云っていい、数学である。

 『数学むだばなし』初版は1960年、新潮社、その後『新~
』も出ている。あちこちに発表の小文、エッセイを集めた本
だ。「むだばなし」とあるが、もちろん、なかなか有益では
ありそうだ。話が面白そう、と思ったらそこで途切れてしま
う印象はある。話はうまい。まあ字数制限のある小文だった
はずで仕方がない。

 で、たとえば「射影幾何学」について、「文芸復興期のイ
タリアに起こった石切り術から発展して出来上がったのが、
この射影幾何学である」というが、ではそのルネサンス時代
のイタリアの石切り術とは?それは述べられていない。

 で数学の偉い先生だけに言葉の正確さというものに、強い
こだわりがあるようだ。「研究」とは「内外の専門書」を読
んで、内容を紹介してもそれは「研究」ではない、という。
「研究」とはどんな小さなことでもオリジナルな業績はない
とだめだ、という。「論文」も同じで、他の専門書、論文の
紹介だけでは論文ではない、という。言葉のいい加減な使い
方で、本物の独創性のある論文が出にくくなるという。

 また実用と学問の相違を繰り返し、強調している。真の技
術の基盤には確固たる理論がなければならないという。抽象
かされない技術は普遍性はない、という。

 ま、いろいろ書いてある。正直、面白い文章もあるが、数学
きらいの文学好きが読むと、文章はつまらないと言わざるを得
ない。文章より、内容がである。多くの人は数学に学校での苦
渋体験がある。それは人生さえ、左右した。できる人への、し
かも並みの方ではないから、その文章は文学的な含蓄はないし、
反発も持ってしまうかもしれない。

  プリンストン高等研究所での矢野健太郎の妻とアインシュ
タイン

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この記事へのコメント

killy
2024年12月24日 21:00
「科学随筆全集」と言う本が発刊されていて、寺田虎彦から昭和の有名大学教授(理系)まで網羅されていました。
暇つぶしには面白い本でした。