井上靖『幼き日のこと』1973、伊豆の山中で育った記憶の断片を散文詩的に描く

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 井上靖の自伝的作品では『あすなろ物語』1954,『しろば
んば』1962,『夏草冬濤』1966,『北の海』1975が代表的だ
ろうが、文学的香気に満ちた前二作品に比べ後二作品はあまり
に散漫を極め、読むに耐えないといって何の過言でもない。そ
れほど『あすなろ物語』、『しろばんば』は名作なのである。
それで1973年の『幼き日のこと』著者が65歳ころの作品である。
といって小説ではない、本当に散文詩風の、しかも淡彩画的な
画集と云っていいほどのエッセイ、回想記である。もうよく知
られている幼年、少年時代の状況であるが、父母のもとから離
れ、曾祖父さんの妾だった婆さんと土蔵でふたり暮らし、伊豆
の山中だ、・・・・・・その頃の回想で『あすなろ物語』、『
しろばんば』に該当の時期が描かれているがそれは小説に、い
うならば謳い上げたというべきものだが、この作品は回想記だ。
『あすなろ物語』などは特に潤色されているし、『しろばんば』
はほとんどあの長編が幼年期から少年期だから詳細である。か
なりの作りなばし的な内容に粉飾だが、『幼き日のこと』はそ
のような小説的な虚構はなく、幼年期の記憶の断片をエッセイ
風に綴るものだ。

 『幼き日のこと』では『しろばんば』との細かな差異につい
ても説明がなされている。では『幼き日のこと』は完全に随筆
で小説的要素がない、のかと云えばそうでもない。随筆と思わ
せて知らぬ間に小説的虚構、粉飾が、・・・・でもないか。

 『幼き日のこと』は一つ一つの記憶が独立した断片としてと
らえられている。それぞれの記憶が一枚の画になっているとい
うべきか。「一枚の絵」という言葉を著者自身、作中で何度も
使っているのだ。それぞれの個々の絵が、時間の順序ではなく、
いたってアトランダムに拾い集められている。

 内容自体はもう周知のとおりだが、伊豆の山中の四季折々の
風景、また年中行事、重要人物は「おかの婆さん」と母の妹
、叔母の「まち」である。あの『しろばんば』の叔母が身ふた
つになって嫁いでいく場面、その叔母が亡くなっての少年にわ
きあがる慕情、詩情、・・・・・いやぁ、いい体験をされてい
て井上靖さん、おかげで「女性思募」が全作品のモチーフとい
う幸福さだ、私のように毒親、女からいじめられたイヤーな体
験ですっかり女嫌いになったものには羨ましいのだ。ただ私も
叔母はかわいがってくれた。・・・・・ともかく著者はあの婆
さんと「契約関係」、離れて暮らしていた母によく似た叔母、
幸せな人だと思う。この作品、全ての篇が散文詩的である。こ
れは井上文学が、すぐれて散文詩的という特質をまた投影して
いる。『白い牙』の冒頭に引用されている『詩集・北国』の中
の「破倫」、うーん、全てが懐かしくも心に染みてくる。

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