慢性臓器疾患、特に腎臓病患者が「検査」を受け、数値に一喜一憂ほど有害なことはない、「悪いに決まっている」と割り切ったらいい


  ダウンロード (34).jpg

 国民病と言われ、現代医学は実質、何ら有効な治癒手段は持
っていないという腎臓病であるが、特段に有効な薬も治療方法
もない、というのは広く慢性臓器疾患に見られることであり、
実は腎臓病に特有とも言い難い、・・・・・・のだが確かに
腎臓病は有効な薬、病組織を修復し、健常化するという意味で
の直接的な薬は見当たらない。今後も出ないだろう。別に肝臓
病だって病組織部分を修復させるような治療薬はない、のであ
る。

 私の経験でいうだけだが、経験にまさる智慧はない、という
のが実感である。医師も実は理解できていない部分が多い。医
学書や医学の理論ではどうしようもない、分析はできても総合
は出来ないのが医学である。必要なことは総合である。

 腎臓病については、はっきり云えば、医者、病院に通い、そ
子で検査を受け、脅されたりの一喜一憂ほど心身を害するもの
はない、と断言できる。もちろん、病院の側では「検査しなけ
れば現状はわからない、検査は必須」というのだが、治癒の手
段はなく、食事療法も実は基本的な注意点はあるが何ら絶対的
な方法はない。どこまでも患者自身がそれまでの経験を踏まえ、
節制、同時に節制だけではなく、食事を十分楽しむ、というス
タンスは必要だと考える。ともかく検査数値に一喜一憂、不安
に怯えるほど無意味で悪影響のあることはない。自分が慢性の
内臓疾患、特に腎臓病である限り、「悪いに決まっている」と
悟り、自分自身で最高の智慧を生活に活かすことしかない。
検査数値で心を病み、本当に病院の勧める「人工透析」に向か
ってしまうことがあまりに多い。人工透析は「戻れない橋」で
ある。病院のあまりの罪作りだが病院の経安定に資することは
限りない。患者はその生命を病院の経営安定に捧げる、世界一
の人工透析大国日本に捧げるにしても、地獄の苦しみと絶望の
日々というものだ。

 腎炎で病院に通うことの大きなマイナスは利尿剤、ラシック
スの投与だ。腎不全を誘発する最も実は大きな要因である。病
院にいかず、無意味な検査数値に一喜一憂せず、自らの体験に
よる智慧でバランスを取れば、・・・・・なんとかなるもので
心がけはどこまでも一日一生である。明日はわからない、とこ
れも悟ることだ。命はお任せ、それだけで十分ということであ
る。常に経験を謙虚に学び、ウェルバランスの折り合いをつけ
る生活、それが大事である。

 ともかく腎臓だけに囚われても仕方がない、地道に体全体の
バランスの取れた配慮の生活、食生活を行うべき。検査など、
百があって一利なしである。

この記事へのコメント