井伏鱒二『点滴』1953年、昭和20年代中頃からの随筆集、太宰治、堀辰雄追憶記をも含む

1953年末に刊行された井伏鱒二の随筆集で現在は講談社文芸
文庫の中の「現代日本のエッセイ」というシリーズの一冊とし
て出ている。書かれた時期は多分、昭和20年代の半ばから刊行
までくらいの期間だろうか。まず堀辰雄、太宰治の思い出、追
悼記とわりと長いのが『「奥の細道」の杖の跡』。これにまつ
わる文章としてこの中の太宰治の追憶のエッセイについての小
山清(太宰の弟子筋)の文章だろう。
さらに先輩の文壇人、ひろく同業者、文人への印象記もあるし
、自伝的な内容の随筆もある。全く偶然に出会った人の印象記も
あるが、いずれも井伏らしい淡々とした「滋味」深いものである。
「初めて逢った文士」というエッセイの岩野泡鳴、また「田中貢
太郎さんのこと」さして面白みもないが、ほどよい内容、筆致で
ある。
身辺雑記を温かい眼差しで眺めて、ちょっととぼけたような筆
致で写実的な文章と叙情がほどよく混ざっている。などと云うと
ジジ臭くもなるが悪くない。
「毎年庭に来る鶯を落とし、籠に捕まえ、そのうち声のいい一
羽だけ残し、あとは大晦日に逃がしてやった。残る一話も来春、
花の散るころまで楽しんで逃がしてやる」
・・・・・・野鳥の捕獲制限は1950年頃から始まっていたが、
この時期はまだ鶯は捕獲禁止ではなかった。1980年から禁止に
されたのであるが、どうも片っ端から鶯を捕まえるというのを
「淡々と」はどうも思いにくく、私自身は反発を覚えた。でも
荻窪は武蔵野というのか、野鳥が多かったのだろう。
で井伏鱒二、子供の頃からとにかく、ニセモノを集める癖の
あった祖父の骨董好きに影響されたにもかかわらず、井伏はそ
れを謹んでいたが、「容貌や風采から見た上の当てずっぽう」
によって、見知らぬ人から骨董屋に間違えられる話を述べた「
灰皿」や「骨董」。長崎でもらった昔の輸出向けの醤油瓶にま
つわるロマン的な連想などは多少だが面白い。
まだ年少のころ、郷里の同級生、淡い好意を寄せたこともあ
る一人の女子生徒の息子かも知れない初対面の大学生から油壺
や徳利で、40年ほど前の秘密の事件を思い出すとか、「酒を飲
んだ翌日に感じる、自己嫌悪の情の切実さ」、早稲田仏文時代
を語る「あの頃」、趣味の釣のある体験談「湯河原沖」、また
「将棋」、・・・「だいたいにおいて弱い人と指すのが好き」
だそうだ。「国語読本のこと」、「作中人物の用語」などは井
伏の言葉への見識が伺われる。
「神近市子女史」あの神経質そうなエグいあの女性もよく観
察している。太宰治が井伏に「左翼作家になるように勧めた」
ことに対し、逆に「そうならないように勧めた」という井伏は
やはり本質的に用心深い人間だったとわかる。
井伏は単に木山捷平みたいに「飄逸味」に終始するわけでは
なく、底には実に気味悪いものを持っていた、というのは常々
私が感じるところだが、その考えは間違っていないと思わせる
随筆だ。
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