桃の節句に寄せて、『雛』芥川龍之介、大正12年(1923)、芥川作品では稀有な無常感、哀愁。心にしみる作品

わずか35歳で昭和2年、1927年にこの世を去った芥川龍之介
の中後期の作品である。無論、著名な作品だが例によって非常
に凝りに凝った歴史的時代的に忠実な緻密な小物表現の中、芥
川作品では実に稀有と言っていい哀感、哀愁を感じさせる。長
さな原稿用紙6枚半ほどでやはり本当の短編である。
語り手はその時点で老女!の「鶴」、「開化もの」に分類さ
れる時代背景である。明治維新から明治初期、中期にかけての
話が展開される。その後「ながねん政治に奔走し、癲狂院に送
られた」という兄「英吉」の人物像が読後も深く残る、それが
私のまず第一の印象であったが、・・・・・・・。売られてゆ
く雛人形のか醸し出す哀愁、それをとりまく家族のありようが、
また哀愁である。
「箱を出る顔忘れめや雛二対」という蕪村の句と続いての「
これは或る老女の話である」という冒頭が効果を上げている。
お鶴が少女時代の思い出を語っていく。12代目の紀の国屋は
、維新後にわか仕込みの薬屋を営んでいる。年末を凌ぐために
、長男の英吉の勧めもあり、家財の雛人形を横浜の亜米利加人
に売ることになる。雛を巡っての喧嘩や面疔(めんちょう)を患い、
寝込む母親のエピソードなどが語られる。雛と分かれる一日前、
矢も盾もたまらず雛にもう一度会いたいと父親にせがむが許さ
れず、兄と喧嘩になる。その日、人力車で会津原から煉瓦通り
まで見物に行った途中、ランプを買ってきた兄と会い、父親が
雛との面会を許さないのは会うと未練が皆に湧くからだ、と
言い聞かされた。ランプを囲んでいつもより花やかな夕食を
とった。その夜更け、薄暗い行燈を灯した土蔵の中で「女々し
い、・・・・・その癖おごそかな」父親の横顔を見た、という
ところで老女は語り終える。
最後に作品『雛』を書くに至った契機、経緯が短く語られる。
実はこれも芥川作品では珍しいというか唯一かもしれない。
文学研究は芥川作品だから実に詳しくなされている。
草稿では主人と妻がお雛様の前で二歳になる子どもを寝かし
つけながら語りだされる、ということになっている。『雛』
別稿である。もう一つの草稿は『明治小品』1916年、大正5
年である。そこでは「兄妹」が「姉妹」になっていたり、語り
手や屋号が異なり、最後が「その時の妹が、今年六十の春をむ
かえた。自分の母がそれである」となっているという。
とにかく芥川が長く温めた素材であるわけで、結果として『
雛』は開化ものの実に美しい哀感にみちた作品となり得た。エ
ピグラフから付記にいたる、何層もの積み上げ構造が実にいい。
直線的でなく、蛇行的な語りもいい。兄の英吉のその後の悲劇
、英吉が印象に深く、心に残る。
太宰治がなんの作品だったか、自作を最初に語る作品、「
それはいい作品であった。芥川の『雛』に影響されていた」と
いうものがあった、・・・・・なんだったか。また岡本かの子
『鮨』に通じる無常感がある。
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