昭和天皇の「政治的発言」の考察、アラスカでニクソン訪中への事実上の反対の意向表明。根底に日本国憲法の不明確な内容

明治から終戦までの期間、もちろん大日本憲法がすぐに制定
されたわけではないが、世界史上にも類例がないほどの君主の
大権の時代であった。国家神道という超宗教といえる国家神道
の教義にもと軍事は天皇が大元帥、絶対的ないわゆる「統帥権」
を持ち、開戦の決定から個々の作戦での兵の移動、撤退も天皇
の承認なくて認められなかった。立法機能、行政、司法も存在
してもすべては天皇大権の下のどこまでも条件付きのものでし
かなかった。主権在君は絶対的な国家原理であり、主権在民は
明確に否定されていた。何よりも天皇は国家神道の神であり続
けた。宗教上、また軍事、国家のあらゆる権能は天皇の権限で
あることが大原則であった。……そのような中で生まれ、教育
され、摂政から天皇に就任した昭和天皇であるから戦後もその
政治性を払拭などもとより困難であったのは当然だろう。そも
そも日本国憲法が天皇にかなりの政治的権能を認め、規定して
いるのである。ともかく明治以降から終戦は大日本帝国のすべ
ての権能は天皇だけが有していたわけであり、対英米開戦も昭
和天皇の詔勅で始まり、終戦も、である。文字通りの大権であ
り、断じて操り人形ではあり得なかった。操り人形だった、と
いうことは天皇を冒涜するものであろう。
日本国憲法自体は冒頭の条文に「天皇」を置き、「象徴」と
しただけでなく数多くの「国事行為」を規定しており、天皇の
政治性は明らかであり、日本国憲法がどこまでも戦前の国家神道
、主権在君の体制、大日本帝国憲法のどこまでも「改正」であり、
妥協の産物であったことはその内容から明らかである。「内閣の
助言と承認」とは?だが意味をなさない。憲法学者が何と言おう
とも、である。現実、現行憲法の天皇の政治性は非常に半ば、主
権在君の性格を継承している。
というわけだが、実際、戦後も昭和天皇は著名なものでは
「沖縄を引き続き、アメリカが施政権を持ち、米軍基地を存続
すべきである」
という書簡をアメリカ大統領に送っている。
現役大臣は天皇に常に「内奏」を行っているが内容は隠ぺいさ
れがちである。これこそ天皇の「政治性」の戦後版の証拠でもあ
るが1970年代前半、増田防衛長長官に昭和天皇が
「日本の軍事力はまだ低すぎないか」という趣旨の意見を呈し
たことが外部にもれてしまい、日本のマスメディアはまともに報
道も論評もせず、「実は言われなかった」というところに着地さ
せてしまった。
日々、内奏に政治的意見を述べられたことは明らかである。そ
れだから欧州訪問の途中アラスカに旅客機が立ち寄った際のニクソ
ン大統領とのわずか20分の会談でニクソン訪中への懸念端的言うな
ら反対を述べたわけである。
根底には昭和天皇の徹底した反共主義、共産国への警戒心がある
にしても、終戦まで宗教世界から現実世界のあらゆる分野での絶対
的大権に生きた昭和天皇のあまりに激しい政治的関心が生涯にわた
り、続いたのは紛れもない事実だ。
他方で、はじめての昭和天皇の記者会見、中国新聞の記者が「
陛下は広島、長崎への原爆投下についてどう思われますか?」
この返答には「政治性」は消えたのか、「そのような文学的な
質問には答えられません」
さて、今回のアメリカの機密文書公開でも日本のマスメディア
は従来通り、「昭和天皇の政治的発言はとにかく隠ぺいする」の
スタンスを続けている。時事通信がまず報道したが朝日な多少は
報道しているが全体のスタンスは変わらない。読売などは「中国
は日本のネットアンケートを操作」などと、昭和天皇の政的発言
から話題を意図的にそらせようという、と思われても仕方がない
〉ような報道姿勢である。
根本は日本国憲法の戦前の大日本帝国憲法の性格を払拭できて
いない点に問題が存し、まともな議論は全くなされない、将来も
なされないという相変わらずの放置され続ける問題ということで
あろう。実際、平成天皇以降の天皇が昭和天皇のような政治的発
言を行うとは考えられないようだが、突如、政治性を極端に帯び
た天皇が出てきたら、という場合、憲法の政治性を認めた曖昧既
定があらためて問題となるだろう。
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