岡本太郎『日本の伝統』(光文社)伝統という重圧、洗脳への反逆精神

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 「芸術とは爆発だ」、「芸術なんて考えちゃいけない、私
自身が芸術なんだ」などなど美術界の反逆児だった岡本太郎
さんの著書、1956年初頭?に光文社から刊行され、現在も
連綿と出版され続けている由緒ある本である。なおKindleで
も読める。

 確かに日本はその正当性の根拠に「伝統」だからだ、とい
うことが多い。これは日本人の骨の髄にまで、といってよく
江戸時代、正当性の絶対的根拠として「祖法」、先祖からの
習わしだから、だから変わったことはやるな、・・・・・と
いう日本人の思考、発想の飛躍を阻害する愚民化の「伝統」
にまさにがんじがらめ、だから「法隆寺など焼けてもいい」
なのである。法隆寺のどこがいい?だろう。

 「日本人くらい一方に伝統のおもみを受けていながら、し
かし生活的にその行方を見失っている国民はいない」

 古来の遺産の価値を、ただ古来のものだから義務のように
尊ぶという精神構造を打破し、新しい時代の価値を獲得する
武器となる新たな精神の創生のために、この本を書いたとい
う、岡本太郎の云うならば真髄を示す本である。

 「伝統とはただ古来のものを尊ぶのではなく、創造だ」
これはたしか京都の老舗の後継者が「伝統とは創造だ」と
確かにインタビューで応えたのを聞いたことがある。ただた
だ従来のものの墨守ではだめだ、常に創造を繰り返す、その
ためには古来のものの維持ではだめということだ。

 太郎さんによれば、古典はすべてそれぞれの時代において
その時代における「現在」を決意し、逞しい生命力を充実さ
せた精神の成果であり、「その時代」の紛れもなきモダンア
ートであった。従って、頭の古い芸術家のように、とにかく
伝統伝統と、何か銀行預金か何かのように、とにかく後生大
事にチョビチョビ引き出していったところで仕方がない、と
いうのだ。現実は常に厳しく残酷である。絶望的であろうと、
現実をあるがままに認め、それから出発すべきである。それ
こそが芸術の問題であり、伝統に対する正しい態度だという。

 さらに続けて太郎さんは、伝統を尊び、現在を呪う人たち
を尻目に、「法隆寺など焼けて結構、自分が法隆寺になれば
いい。伝統とは旧来を乗り越える創造だ」というのである。

 民族の生命力を現したものが古典、伝統であるという太郎
さんは、弥生式土器、埴輪を避けて、原始民族の縄文式土器
を選ぶ。狩猟期の人たちがその時代、生々しい厳しすぎる現
実に正面からぶつかり、不安と孤独と戦いながら生きていっ
た強靭な表情が、縄文式土器に現れている、という。「平気
で明朗で、屈託ない生きる方法」が、この原始芸術を新鮮な
ものとしている。

 弱々しく暗い、文化伝統の中に光琳が光っているのは、彼
がその時代において貴族性と対決し、新興町人の体当たりの
逞しさをもって、自由に、独自の表情をもって創造したから
だという。幕府の政策の儒教の、やたら権威的で古来の墨守
徹底の権威主義的なアカデミズムも拒絶し、矮小な町人気質
も拒絶、光琳はおのれと対決し、真の自分を確立し得た、と
云うのだ。そのような精神性から生まれた作品は、おのれ以
上のものとなる。太郎さんはそれを非情の芸術という。

 おおむね三分の二は中世の庭の解説と批判である。太郎さ
んは、これを「矛盾の芸術」と呼び、「日本的伝統の標本」だ
という。庭園は発想、生育、環境と全て日本的で、俗を離れて
精神的な別世界を作り上げた。長い海外での、ヨーロッパで
の生活を経て帰国した太郎さんは庭園は芸術の永遠の課題だ
という。造成性の諸問題に応えてくれると期待したが、趣味
的な気取りと、観念的な思い上がりが鼻について我慢ならな
かったという。


 だが「封建時代には独自の生命感が有り、積極的に乗り超
えて行くとか、創造する、対決はせず、あきらめていた。そ
こで重苦しい権威、権力と対決の精神性を涵養は出来ず消極
的な積極性がある」と太郎さんは発見した。改めて中世の庭
に統一と調和、選択の厳しさと配置の正確さの美しさの認識
となる。

 伝統を遺産としてただただ祭り上げ、新しいものの創造へ
のチャレンジ精神の喪失した文化人に愛想を尽かした太郎さ
んは、伝統の破壊こそ創造というしかないのだ。現代の様式
喪失の時代、過去の様式への反発は又自然である。破壊して
こそ創造できる。あまりに「祖法」絶対の萎縮した精神が
培養された日本の改革は至難ということではある。

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