「にほんのうた」デューク・エイセス(永六輔・いずみたく)が作られたきっかけは?その中の「女ひとり」

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 あの永六輔作詞、いずみたく作曲の「にほんの歌」全国の全
ての都道府県に一つの歌を与えいる、時期的には最終的に完成、
LPレコードが大々的にリリースされた1969年、印象的には1970
年の大阪万博と時期が重なる。1969年のレコード大賞特別賞を
受賞した。ウィキペディアは簡単な説明だが1965年から1969年
まで、実際に永六輔と「いずみたく」がともに日本中を旅して
歌を作ったという労作である。永六輔の作詞もsあることなが
ら、天才作曲家に「いずみたく」の曲がまた光る、・・・・

 だがなぜ六八コンビで作曲が中村八大ではないのか、である。
それを書いている情報はないが私の記憶にあるものは、

 永六輔は作詞家としての仕事を終えたいと中村八大に申し出
た。「あ、やめたければやめたら」と八大はそっけなく応えた
が、やめる条件として「日本中各都道府県、全てにその地方に
ふさわしい歌を一つ作ってからやめなさい」と言ったという。
ただし作曲は誰かに頼め、であった。そこで天才量産作曲家の
「いずみたく」である。

 結果、多くの名曲が生まれた、宮崎県「フェニックス・ハネ
ムーン」、京都「女ひとり」、茨城県「筑波山麓男声合唱団」
、群馬県「いい湯だな」は大ヒット曲ともなった。その他は
あまり聴く機会もないが。大阪の「銀杏並木」はどうだろうか。

 そこで屈指の名曲、京都「女ひとり」見事である。そのなか
の歌詞(余談だが作曲を「さだまさし」と堂々と載せているので
驚いた、ネットで)

  恋につかれた女が、・・・・

 はて「恋に疲れた」のか「恋に憑かれた」のか、

 そんなこと歌詞を見たらわかるわけだが、私はずっとそれを
意図的でもないが見ることなく「憑かれ」か「疲れた」か、思
いを巡らせてきた。

 なんとなく常識的には「恋に疲れた」にしても、別に「恋に
憑かれた」でも十分以上に意味は通る。

 「憑かれた」と「疲れた」は通常での発音は同じようだが実
は違う。「憑かれた」は「つ」にややアクセント、イントネー
ションが尻上がり、「つかれた」では「つ」にアクセントはな
く、イントネーションは尻下がり、あきらかに異なる、大きく
は異ならないが。

 だが歌となるとイントネーションも意味をなさない、イント
ネーションで意味が極端に変わる中国語では、だから歌では意
味が通らなくなる、のと多少似ていて「疲れた」か「憑かれた」
かはデュークの歌では分からないが、歌ではむしろ「憑かれた」
に近い気がする。

 で歌詞をみたら「恋に疲れた」である。やっぱり、であるが、
「恋に憑かれた」のほうが面白いと思える。

 

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