『居酒屋』(ゾラ原作)フランス映画、1956年、ルネ・クレマン監督、主演のマリア・シェルの奇蹟的な好演

昔、旺文社文庫が出始めにエミール・ゾラ『居酒屋』が刊行
されていた。早速、読んだのだが、・・・・・。中学生でも何
とか通読できたものだ。しかし真の理解には程遠かった。その
映画化である。DVDでしか観れない。かなり前に買い込んでい
た。原作にも再挑戦した。
この映画、ルネ・クレマン監督、あの『禁じられた遊び』か
ら3年後の作品であるという。この映画『居酒屋』も主演女優
はオーストリアの女優、マリア・シェルだが、端的に云うなら
この映画はマリア・シェルの好演、魅力に尽きるとさえ思える。
また雰囲気的に19世紀、フランス自然主義文学の雰囲気がよく
醸し出されていると思う。自然主義文学というえば日本の文学
のしみったれた雰囲気を思い浮かべてしまうが、ゾラの自然主
義がいかに別物であるか、陰気矮小な日本の自然主義文学とは
あまりに異次元である。ゾラの「ルーゴン・マッカール叢書」
の構想の雄大さは非常なものだという。実は『居酒屋』はその
一冊なのである。
映画はゾラの小説の原題と異なる。ジェルヴェーズ、Gervai
-seとなっている。1850年代から1860年代にかけてのナポレオン
第二帝政時代の様子を確かに見事に再現していると感じさせる。
ジェルヴェーズは女性主人公の名前だ。
その時代の経済的混乱の余波で、労働者の生活は非常に苦し
かった時代である。この映画で描かれるのは貧民街ばかりであ
る。多くの合理化がなされる以前の話で、労働組合法もまだ未
整備だった時代、ただ賃上げのためのスト権が認められる直前
であった。
ジェルヴェーズの心の恋人というのか、内縁というのか、工
員、鍛冶職人のグジェがストライキの扇動をしたため刑を宣告
される。だがその前後はなんだか説明不足のようで理解しにく
い。とのかくフランスの当時の下層階層のきびしい生活ぶりは
よく表現され、うっとしいくらいだ。

だが単にストーリーを追うだけではなく、19世紀の中頃のパ
リの風俗、雰囲気を実に忠実に(と思うが)精密に再現しているの
だ。どの場面にも抒情、詩をどこか感じさせる。クレマン監督
はその貧民街の無惨さを描いても、不思議に抒情があるのだ。
深い文学性というのか、「禁じられた遊び」に一脈通じる詩の
含蓄がある。渋いが味わい深いと思う。
映画は二人の幼い子供を抱えてその日の暮らしに汲々とする
若い女性主人公の亭主、帽子職人のランチェ、だが浮気性でさ
らに怠け者である。そのダメ亭主が近所の女の所に泊まって朝
帰りの場面から始まる。彼女が共同洗濯場で働いていると、そ
こに幼い子供たちが父親の逃亡を知らせに来るのだ。ランチェ
は女と駆け落ちしたのだが、この発端が云うならば秀逸の極み
である。

共同洗濯場の場面がある意味、映画でも圧巻めいている。ジェ
ルヴェーズは亭主の情婦の姉のヴィルジニーと出会って大喧嘩す
る。女同士の喧嘩の場面は「カルメン」も有名だが、すさまじさ
という点ではこの映画の喧嘩は空前絶後だろうと感じる。多くの
女がいるこの洗濯場は陰惨だが、取っ組みあいの大喧嘩のあと、
衣服をボロボロにして汚した若い母親がこどっも二人の手を取っ
てトボトボ歩いていくのだ。その悲劇的な情感がまた素晴らしい
と思う。フランス映画の極致だろう。
ジェルヴェーズはしかし田舎娘であり、生活力は強いのだ。ア
ル中で死んだ父親の影響かどうか、脚が悪い。屋根職人のクポー
と再婚するが、このあたりは映画で時間不足で説明が足りずわかり
にくい。でもこの貧困の結婚で、雨の日に親類や友人など男女十数
名が集まってルーヴル美術館に行ったり、パリの街を散策の風情は
なんとも微妙な薄ら寒い詩情が漂うのだ。
貧しくとも好人物の夫で一時的に幸福にはなり、夫の友人から
借りた金で念願の洗濯屋も開業するが、今度は夫が屋根から転落
し、転落が始まる。働けなくなった夫は自暴自棄で酒に溺れる。
あげくに最初の亭主を同じ家に住まわせてしまい、見るも醜悪な
三角関係の生活が始まる。ジェルヴェーズはかって大喧嘩したヴィ
ルジェーに会って和解し、自分の祝名祭りに招待、ここがまた秀逸
である。鳥肉を食う姿がである。

だが相手の女は前の亭主をわざと連れてきた元凶なのだ。だが
原作がそうだから仕方ないが、亭主のクポーがなぜ前の亭主を同居
させる?あまりに不自然である。ゾラの『居酒屋』の弱点だ。
主演女優、マリア・シェルは本当にいいが、やっぱりドイツ系で
あり、フランス女優ではない。非常に硬質な素地は明らかでフラン
ス女優的な柔らかさはやはり見いだせないのだ。
基本はゾラの原則に依存しているのは当然である。ゾラの文学思
想は人間における遺伝性と生活環境を重視するのだろう。この映画
では生活環境を押し出している。ジェルヴェーズが泥酔した亭主に
ベッドを全部占領され、そこで同居の前夫に言い寄られてしまう、
それをガラス越しで見る幼い娘、ちょっと戦慄だ。
ゾラの原作が基本だが、映画と思えばマリア・シェルの熱演はす
ごい。文句はない。ドイツ系女優のせいか、フランス映画らしから
ぬ骨太さがある、のではないか。さすがである。
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