車とチェンソーの不思議な共通点。エンジンは永遠に存在。超画期的なワイヤレス給電が実現しない限りEVの普遍化は無理。なぜミスリードが続くのか?

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 この世界からエンジン車は消え、全てBEVというのかEVに
なるというミスリードがやまない。無論、超大国アメリカは
パリ協定を離脱、EV優遇は廃止しているからすべてEVはそれ
だけ考えてもあり得ないのだが、相変わらず日本国内でも「
HEVはEV全面化までのつなぎ」などと全く非現実的なミスリ
ード記事が多い。それらは基本的にバッテリーがいかなるも
のか、理解していないこと、それを社会全体からの諸要因と
して考えるとあり得ない、これは「水素社会」論者が水素と
いうもの理解していないゆえにミスリードを繰り返すのと
共通点がある。

 ただEV、BEVに関しては国内マスメディア、論者のミスリー
ドどころか、そもそも国全体でEV一色にするというケースが
存在するから非現実的意見がマスメディアレベルで続くのも
やむを得ない面あある。

 ここで考えるヒントでチェンソーと車、の比較という断面
で考えることが可能だ。

 チェンソーには「充電式」(バッテリー式」と「エンジン
式」がある。市街地から比較的近くさほど大規模でない樹木
の伐採は再充電も容易にできるため「バッテリー」搭載のチ
ェンソーが用いられるが、市街地から遠く離れた森林山林
、充電はまず出来ず、強力なパワーが要求されるような場合
は「エンジン式」となる、遠く森林で重量のかさむ発電機を
運搬は難しい、非現実的である。さらに森林伐採は気温が寒
冷な時期も多くバッテリーだけに依存でははなから仕事に
ならないわけである。

 チェンソーには「充電式」と「エンジン式」が共存してい
るが、では、・・・・・

 世の中が進歩したからチェンソーは全て充電式(バッテリー
式)になる、・・・・・

 という命題は成立するだろうか。ここに車のEVとエンジン
車の問題の回答が潜んでいる。


 まずバッテリーとはなにか、であう。用いられるのはLiバ
ッテリーである。EVとは要はバッテリーだけが問題と思え
ばいい。ラジコンやおもちゃの車、電池とモーターである。
子供時代、「なぜ車も電池とモーターにならないのか」と
思ったものだ。バッテリーとモーターだけである。あまりに
シンプルな理屈だ、だからEVはエンジン車に先行したし、戦
後、石油資源もなく入手困難な日本は木炭車とEVを国民車に
しようと考えた。事実、プリンス自動車は1951年頃までEVの
専業だった。・・・・・だがEVは消えた。実用に無理という
ことがわかったからである。要はEVはエンジン車より早くに
登場したものであり、エンジン車が革新されて進歩したも
のでは決してないのである。

 現在のEVシフトは奇妙なドグマによって推進されている。
単に単純な合理性、からではない。

 それはCO2地球温暖化気候変動論という全くの仮説(実は
以前)のドグマが極端な環境原理主義となって西洋伝統の、
魔女狩り思想と終末論が合体したドグマである。それがEUや
国連機関、ノーベル賞委員会、また根底に超限戦を遂行の中
国の「EVで自動車業界を支配」という国家的な政策遂行、ま
た発展途上国のEVで自前の自動車産業育成を、など「ドグマ
と魂胆のごった煮」で「EVシフト」となっているわけである。
冷静に考えれば大気汚染防止には間違いなく有効だが、それ
以上は空理空論は明らかである。

 チェンソーは「革新」で全て充電式となる、が非現実的で
バカバカしいのと全く同じ理由、というか、チェンソーなど
遥かに上回る理由で車が全てEV化するはずはない、まして
水素燃料電池車である。

 EVが一般化してこなかった理由は

 基本的に車はいかななる環境、季節でも自在に移動する、
タウンユースもあるが中距離、長距離も移動を自在に行う
という性格を持つ。

 これをEVとするならワイヤレスで電気を供給される画期
的技術が実現しない以上、超重量物のバッテリーに全て依存
となる。エンジンでも積んで発電機で利用すれば別だが、「
エンジンはやめる」思想だからただただバッテリーだけであ
る。

 ならバッテリーの容量を格段に大きく、というかもしれな
いが

 ①充電時間の問題

 ②充電を支える充電環境の整備、日本の住居環境から
 は充電難民は永久化する

 ガソリンスタンドのように充電ステーションは民間事業
 として成立は非常に困難。

 ③送電網整備のための莫大な資源、特に銅資源の濫用

 ④充電の支える電力問題、EVが普及し、夜間、いっせい
 に充電したら(地方では一家で何台も保有している)、
 停電問題が発生する

 ⑤銅資源でエンジン車より数倍は使用のEVで、そもそも
 もっとも埋蔵量の少ない銅資源がそもそも供給されるは
 ずがない。日本でも太陽光パネルの銅線を中国人などが
 窃盗続出を見れば一端がうかがえる。どう考えても永続
 的でありえない。さらにバッテリーを構成する資源も
 制約されており、EV一般化は持続可能な選択肢ではあり
 得ないだろう。

 ⑥バッテリーは化学反応であり、温度に反応速度が制約
 される。Liバッテリーは5℃~35℃が適温であり、特に
 低温では極端にパフォーマスが低下する。エンジンも搭
 載せしなかぎり寒冷地域、また寒冷期には到底、安定し
 た使用は不可能で、特に寒冷地域では使ってはならない
 車である。

 要はEV化限定された使用条件、環境でのみ可能であり、逆
 に云えば、それらがクリアーできたら排気ガス問題がない
 わけだから大いに使えばいい。しかし一般化出来ないので
 ある。


 以上はわかりきった話でしかないが、それらを無視した非現実
的なミスリードが多いのである、

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