健康は芸術である。単に与えられるものではなく、日々、自分で精緻に作り上げるもの

人生は芸術である、は御木徳近氏の言葉だが、私が感じる
ことは「健康は芸術である」、つまりいかに現実に健康が失
われやすいか、である。不摂生の結果で病気も無論多いが、
全く青天の霹靂の災難で降りかかる病気も、しかもそれが生
涯の病気となる場合も珍しくはない。私など、その例である。
別に大きな病気がなくても身体の不調はまず大半の人が日常、
経験する。生きることは、程度の差こそあれ、皆、病気との
闘い、あるいは付き合いとも云える。
だから健康は単に与えられるものではない。常に自らが自
己責任で自らの健康を回復、構築しなければ生存はない、と
考えて何の言い過ぎでもない・・・・・日々の食生活、運動
は基本だが現実、仕事の制約がまず大きい、住居の制約もま
た影響する。現実の制約は数多いが、そこから自分自身に応
じた健康をたえず求めるべきだろう、がさりとて修行主義に
陥ってはならない。実際、のんべんだらり、節制をするとも
思えない修行とは正反対の生活で結構、長生きするひとはい
る。あの内田百閒さんは早くからたばこ、まあ以前は男はた
いスモーカーだったが、昼過ぎに起きるぐーたらぶり、だが
このグータラマイペースこそが長寿を生んだわけだ。
だから健康への道はその人に応じて数しれない経路がある。
だが基本的な要素、留意点にさほど変わりはない。無理はし
ない、酒は控えめ、タバコはやらないのが当然。少食でもし
っかり栄養摂取の心かげだ。お座なりな食事では健康は保て
ない。
そして、・・・・私は云いたいのだが「病院が病気を治し
てくれるわけではない」ということの真実である。これも病
気の性質で一概ではないが、やはり病院が病気を治してくれ
るわけではない、は真実と疑わない。「~先生に命を預けて
ます」は実はどこまでも条件付きである。治すのは自分であ
ある。それは自分自身の探求というべきか、健康探求を芸術
とみる心持ちである。自然に耳をいかに傾けるか、それが基
本と考える。単に与えられるものではない。
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