トロツキー『わが生涯』岩波文庫、自伝を名乗って政治的論争文と長い独白

レフ・トロツキー、1879~1940年8月21日、先日、立花孝志
さんが「ナタ」で頭を攻撃されたのを思い出し、メキシコで刺
客にアイスピッケルで頭部を刺され、暗殺されたトロツキーを
思い出した。トロツキーを学べば、読めば、まさに汲めど尽き
せぬ興味あるテーマが浮かぶ。

ロシア革命当時、トロツキーはレーニンと並び称され、むし
ろレーニンより上、凌ぐ天才的革命家と評価されていた。しか
しながらレーニンの晩年頃からスターリンとの確執が生じ、そ
の権力闘争に敗れ。国外に逃亡した。がさらにスターリンの魔の
手が常に迫ってくる。最期の地、メキシコでも暗殺の波状攻撃に
さらされ、自宅を要塞化したというのに娘の恋人というふれこみ
のスペイン人にアイスピックで暗殺された。その刺客はメキシコ
で20年服役し、ソ連においてレーニン賞を受賞された。
ともかくスターリンに次第に追い詰められていくトロツキーの
姿ほど悲劇的なものはないだろう。で、この『我が生涯』最初の
邦訳は現代思潮社から1962年、フランス語からの重訳で刊行され
たが今、岩波文庫はロシア語からの翻訳である。非常に膨大であ
り、翻訳でも千ページを超えるものだが、普通、自叙伝というこ
とで想像されるような内容ではなく、論争論文的な内容である。
スターリン一派によって国外追放され、諸国をさまよってコンス
タンチノープル滞在中に政敵による攻撃、中傷に反論しようとい
うのがコンセプトになっている。自伝の形式を借りた反論論争文
といえる。
この時点で勝敗は決していない。トロツキーは投げていないの
である。状況は悪いが流動的であり、希望を捨てておらず、その
自信とまた焦燥、不安も混じった筆致である。
自叙伝でも非常に政治的を極める。それはトロツキーの人間像を
浮き彫りにする。だが単に政治的人物ではなく、まさしく詩人であ
り、雄弁の才にも恵まれていたこの革命家は、この政治的論争文の
ような自伝の中に文学を作り上げている。通常の自伝では懐かしく
回想されるような幼年時代、子供時代の記述はまるで精細がないの
だ。革命に身を投じ、前進を続ける頃の回想ははつらつとしてる。
ロシア革命以前、ヨーロッパ各地に亡命していた当時であった有
名な社会主義者達、カウツキーヒルファーディングなどへの容赦な
い辛辣な批判は面白いだろう。逆にローザ・ルクセンブルグやカー
ル・リイプクネヒトに対しては温かい目を注ぐ。ローザに対しては
特に憧れもあるのか、べた褒めである。
革命当時は八面六臂、物に憑かれたような超人的な働きぶりを示
した。具体的な革命の状況も面白い。軍事人民委員となって「南船
北馬」していることのトロツキーは異常なまでに研ぎ澄まされた現
実感覚、泉が湧くような想像力、疲れを知らぬ活動力で超人的だ。
レーニンが「非常に有能だが自信過剰すぎる」と評されたトロツキー
実力が如実だ。だがどうもレーニンを尊敬のトロツキーは事実のよ
。
もともとボルシェヴィキの生え抜きではなく、その客分的な存在
だり、よそ者の天才だった。しかもユダヤ人である。徐々に同僚か
ら反発、嫉妬を受けるのは時間の問題だった。だがトロツキーは保
身を考えない。だからレーニンの死後、トロツキーから見たらおよ
そ三流の策謀家でしかないスターリンなどに翻弄されることへの反
発もそこかしこに見いだせる。
自伝とはいうが政治的論争文、また長い独白からなる著作は「
永久革命論」の支持となるようなローザ・ルクセンブルクとプル
ードンの言葉の引用で締めくくっている、が追われる身の寂寥感、
孤独さは覆い隠せない。
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