「力道山VS木村政彦」戦いの真実、介在した工藤雷介の不純な作為が世間に誤解を招いただけ。完全な真剣勝負で力道山の作戦勝ち

1954年12月22日はいわゆる力道山と木村政彦の「巌流島の
戦い」だが、「事前に二試合やり、初戦は引き分けに、二試
合目で決着」といい「契約書」があり、それを裏切った力道
山は掟破りで、木村は「約束を破った力道山」を生涯、付け
狙った、・・・・・あたかもこれが定説かであるかのようだ。
既成マスメディアは基本そうだ。「ユセフ・トルコの遺言」
という本があり、最晩年のユセフ・トルコさんにインタビュ
ーした内容だが、私の考えていた通りだった。そもそも一試
合きりということで興行し、八百長のわざとらしい引き分け
を演じて「もう一試合」で稼ごうなど、常識的にもあり得な
い話である。そういう誤解を振りまく結果になった男がいた
と云うに過ぎない。興行なのだ、一試合目が失望の内容で、
「だから二試合目をやります」ではだれも相手にしてくれな
いのは明らかだ。
若き日のユセフ・トルコさん、実は柔道出身で木村政彦ら
と熊本プロレス興行を行っていたという。その後、力道山
グループに。

要は、これは力道山、木村政彦、両格闘家の名誉のために断
言すべきことは、けっして八百長的な「契約書」に束縛され
るつもりは両者とも全くなかった、ということだ。両者とも
今後、プロレスで生きていけるか、のるかそるかの断崖絶壁
であったから頭にあったのは、ただ真剣勝負、その場合ルー
ルが問題にはなる。
そもそもその「契約書」を見た者など周囲、関係者には誰
一人いなかったのである。そもそも、そんな奇妙な「契約書」
があたかも真実のごとく世間に噂された理由は、「工藤雷介」
なる人物のせいである。「柔道評論家」にして右翼フィクサー
であった。正力暗殺未遂事件にも関与していたという。
工藤雷介、ただし戦前、東京高等師範卒で「柔道十傑」に
数えられて警視庁逮捕術にも貢献したとかいう工藤一三とは
別人物である。工藤雷介は当時「柔道新聞」主幹であり、木
村政彦とは親密だった。木村政彦は「国際プロレス」なる団
体を立ち上げ、これからプロレスで生きていこうと考えてい
た。だが柔道家としての名声は超高い、「木村の前に木村な
く、木村の後にも木村なし」富田常雄の有名な言葉であるが、
これが瓦解、崩壊したのが対力道山戦であった。「柔道は弱
い」を支配的にしてしまった、
さて木村が「国際プロレス」を設立、なんとかして売り出
さねばならない、そこに工藤雷介が付け込んだ、というのだ。
工藤が木村をうまく焚き付けた。新聞で力道山に喧嘩を売ら
したのも工藤が木村を焚き付けたためであった。ルール問題
には工藤が両者の間を往来し、双方にそれぞれ、あることない
ことをいって二人を巧妙に激昂させた、わけである。そういう
ことも「柔道新聞」に書いて儲けたという。
だから、・・・・・・あり得べからざる奇妙な「契約書」を
工藤雷介が実質、作成したという。「一回目は引き分け、ニ回
目に決着」など本来は格闘家の両者が心から納得するはずはな
い。だが木村はうまく工藤に焚き付けられて同意した、のだろ
うか。あの力道山がそもそも、こんな契約に納得するはずはな
い。実際、契約書など関係者は誰も見ていないのだ。工藤と木
村はもちろん、、見たにせよ。工藤雷介が両者に二試合やらせ
て儲けようとした、のが真実だろう。
つまり工藤が「契約書」をでっち上げたことと、実際の戦う
力道山、木村の考えは全く別物、ということである。その「契
約書」に力道山は無論、木村も従うつもりなど毛頭なかった、
ことは確かだろう。考えてみたらいい「今日の試合は引き分け
のはずだろう」などと木村が考えていた、と言えば、これほど
の冒涜もないわけである。
何かといえば「力道山、木村政彦戦にはウラがあった」と考
えるのは工藤雷介の余計な介在を過大評価するものだ。
実は前座の試合、相撲界から力道山に弟子入りした芳の里は
対戦相手の市川登に張り手の乱打を数十発浴びせ、昏倒させ、
結果、市川に重い脳障害が残って1967年に死去した。それは力
道山から「今日は相手を殺せ」と命じられていたからである。
最初から力道山は部下にまでセメント、本気の喧嘩を命じてい
たわけである。力士の武器は張り手である。この日の結果が、
プロレス界で生きられるかどうか、のるかそるかの生きるか、
死ぬかの瀬戸際、という意識が力道山にはあったのである。こ
れを汚い、というなら汚いかもしれず危険な掟破りだが、力道
山も芳の里に「相手を殺せ」張り手で、と命じたくらいだから
、場合によれば木村戦で芳の里と同様の戦法をとろうと考えて
いたことは明らかだ。だから木村の冴えない急所攻撃?は思う
ツボで、これで力道山は芳の里とおなじく張り手の乱打、幸い
なことに芳の里VS市川登戦ほどの張り手の数はなく、僅かな
数の張り手で木村は昏倒して倒された。
力道山グループにすればルール抵触でなんでも木村を完膚な
き形で倒すしか今後、プロレスで生きられない、という意識が
あるのみだった。
だから力道山グループに属していたユセフ・トルコ、その日、
控室で「これで明日も飯が食える」と安堵で号泣したという。
これで私はすべての説明がつく、と思う。木村ほどの名声はな
かった力道山、完全に木村を倒すしか生きるすべはない、とわ
かっていたのだ。その意味で「契約書」どうこうは無意味とい
うことだ。工藤雷介のちょっかいでしかない、のだ。
ただ張り手で決着だったから力道山にはよかったが、寝技に
木村に持ち込まれたら、木村の弟子のヒクソン・グレイシーを
思えば分かる話だが、力道山に勝機はなかった。
ユセフ・トルコさんによれば試合前、長く、牛島八段という
木村側の人物が力道山グループの道場を偵察に来ていたという。
寝技は全くダメ、と見抜いていたようだ。だが木村は寝技に持
ち込めなかった。敗因である。
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