スーザン・ソンタグ『隠喩としての病』自らの病気の体験からの新タイプの疫病論
病といってその種類は千差万別だが、およそ都合のいい病
などあり得ないだろう。著者はみずからの罹患体験から一つ
の思想を結晶化させた、ということだが必ずしも釈然としな
いものはある。

スーザン・ソンタグはこの本の中で癌を時代の病と捉え、
そのイメージ力、働きを見つめ。それによって現代という世
界を、時代を浮かび上がらせようというのだ。Susan Sontag
、名前から明らかだが女性、1933~2004、作家、社会運動家、
映画製作者。生涯、リベラル派で一貫した。この本は1982年
。ちょっと新しい視点、タイプの疫病論だろうか。
隠喩、metaphor・・・・・だというのだ。病が。
スーザンは云う。病気は人間にとって人生の夜の側面であり、
いやな迷惑なものだが、それは市民たるものの義務であり、人
は誰でも健康の王国と病の王国の両方の住民とならざるを得な
い。だから人間が無病をいかに目指そうと全く無病でいること
などできない。つまり人間は多い少ないはあろうが、必ず病気
になる。だが現実の病気自体よりさらに人々を悩ませるのが、
いうならばイメージとしての病である。
結局、病気の社会性ということなのか、しかも病気の種類は
数限りない。で隠喩に飾り立てられた病気として19世紀は結核、
20世紀は癌だという。隠喩に飾り立てられるとは、これらの病
が非常に神秘化されやすいからである。病気は謎ではある。で
今世紀の癌はいまなお超分子生物的、超生化学的なアプローチ
、古来の外科的切除、さらに放射線療法、免疫的アプローチ、
また分子標的薬などの新薬、などさまざまな治療法が存在知する
がこれらがまるで効を奏さないケースも半分はある。イメージと
して魑魅魍魎、不吉で一筋縄ではいかない。おぞましく得体がし
れない。だから日本のような国でも「がん保険」のセールスは凄
まじい。とにかく人々は癌を恐れる。実は恐れる病気は他にも多
いのだが癌は特別ということらしい。
昔は長く結核は繊細さ、感受性、悲しみ、弱々しさの隠喩であ
ったが、癌は非情で容赦ない、略奪を働くものの隠喩であった。
撲滅スべきもの対象に「~は~の癌だ」という言い方がしばしば
なさえる。実はこの本には載っていないが「病の記号論」、「癌
の記号論」なるものを著者はは編み出しているという。これも自
身の癌体験から生まれたものだという。確かにその結晶化はたい
したものであろう。・・・・・・でも今や現実はさらに複雑化で
ある。隠喩が隠喩で終わらない、なんとも混乱の時代である。
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