水上勉『高瀬川」1964,いつもの水上パターンだが、通俗に終始。描きたいのは京女
1960年代の水上勉は特に作品を量産している。代表的な作品
な作品が多い。『雁の寺』1961、仏教寺院への意趣返し、『五
番町夕霧楼』は1962年9月、『筑前竹人形』1963,『飢餓海峡』
1962年1月から12月、「週刊朝日」連載、『越後つついし親不知』
1963,『沙羅の門』1964,1960年代というより1960年代前半だけ
でも書ききれないほどだ。その中に『高瀬川』がある。『京の川』
1965,私が非常に強く印象に残っているのは読売新聞夕刊に1965
年7月23日から1966年6月8日まで連載された『湖の琴』である。な
かなか長期連載、やはり水上パターンで琵琶湖畔、近江、京都を舞
台のまさしく「下積みの不遇な人間の大不幸」な人生を描く。最後
に紙上で「連載を終えて」の作者の感慨「最後に、この暗い物語に
長くおつきあい頂いた読者の方々に心より感謝を申し上げる」
『京都物語』全6巻、1966だからまことに健筆である。
『高瀬川』はあまり水上作品では知名度は高くない(と思う)。
その構成、舞台、設定は『湖の琴』にも共通性があるが、ちょっと
暗いにしても通俗的な印象である。
兼子(名字でなく名前)は北近江の寒村に生まれた。四歳で京都
の宮川町のお茶屋の女将にもらわれ、大事に育てられて芸妓になっ
た。二十一のとき、新興映画の京都撮影所の小道具主任の坂巻と恋
愛結婚して、由枝と露子という二人の娘を生んだ。が、坂巻は、そ
の後に女を作って兼子と別れ、彼女はそのとき、坂牧からもらった
木屋町通りの高辻にある家に娘といっしょに住んでいる。
由枝は同志社大学の家政科にいたとき、父親の女狂いに反抗し、
一年下の影山と恋愛し、家を出て四歳になる、みどりという子ども
を生んだが、影山に逃げられ、現在はバーの「ルニー」で働いてい
る。露子も短大をでたが、堅気な勤めが性に合わず、母親の反対に
もかかわらずバーの「楓」に務める。由枝24歳、露子21歳、お金を
貯めて自分たちの店を持ちたいと考えている。・・・・・そこに東
京から仕事できていた来宮という四十絡みの男が由枝に惚れる。だ
が消極的な女の態度に失望もし、妹の露子といい仲になる。由枝の
ところに落ちぶれた影山があらわれ、愛想はつかされながら、金を
貢いでいる。そうこうしていたら「ルーニー」の古参バーテンの小
林が由枝に結婚を申し込み、由枝が迷っているうちに影山に刺され
て重傷を負ってしまう、・・・・というくらいがストーリーだが、
『湖の琴』の前駆作品と云いたいが、これではちょっと通俗すぎる。
通俗的だが水上さんが描きたいものは?「底冷えがする」という京
女の正体なのだろうか。
高瀬川というタイトルがまた意味深で、水が枯れているときは、
川がが泥と塵芥に汚れているが、よる、水面に酒場の灯火が写ると、
昔ながらの抒情をたたえる、・・・・・高瀬川、・・・もう二年前
なろうか、京都の高瀬川近くの和食店で会食の機会を得た。そのと
き見た高瀬川、が思い浮かぶ。
でもちょっと『湖の琴』はむろん、『沙羅の門』にも遠く及ばな
いのは否定しがたい。

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