郵便局はなぜ死んだのか?郵便局のあまりに殺伐たる白けた雰囲気

民営化以前、郵便局はまずいつも多くの人で溢れていた。
お年寄りが多かった。郵便貯金にはきっちり金利がついて
いて1990年すぎのバブル時代など定額預金で10年預けたら
2倍になったのだ。民間銀行から郵便局に預け先が大移動が
社会経済問題となったくらい、「安心で高金利」だった。ま
た局員が簡易保険の勧誘に非常に熱心だった。とにもかくに
も郵便局に行っても順番がなかなか回ってこないで閉口した
ものだった。
だが今、郵便局はまず郵貯目的の来客が激減した。ゼロ金
利状態は依然続いている。貯金限度額は大きく拡大されたと
いうが、もはや郵貯を目指す熱気はかけらもない。郵政事業
は現業部門で公務員ということだったが、給与に税金は全く
投入されず、全て自分たちで稼ぐ優良現業だった。野末陳平
『頭のいい郵便局利用法』カッパ・ブックスも話題も読んだ。
もっともこの本もゴーストライターによるものだが。
郵貯資金は財政投融資という形で税金でなされるような公
共事業に主に使われ、第二の予算ともいわれたが日本を支え
る骨格であった。端的に言えば日本を根底で支えていたのが
郵政事業だった。すでにふれているテーマだがアメリカによ
る対日年次要求に長く「郵政民営化」があった。これはあの
郵貯資金をアメリカに向かわせるという目的でなされたに過
ぎず、そのアメリカも郵便事業は公営を断固堅持している、の
にである。だが小泉純一郎の全く見当違いの「官から民へ」と
いうお題目、完全呼応、言論統制のマスコミの熱狂的な郵政民
営化支持の大衆操作、世論誘導の「報道」?で総選挙は小泉自
民大勝利、ここで日本を支える基盤にして日本の至宝であった
郵政事業は死んでしまったのである。
郵貯資金はアメリカ国債、諸々のジャンク債購入に向かい、
国民の生活を根底で支えるという役割を喪失した。元来に郵政
事業は郵便事業、郵便貯金事業、簡易保険事業の3本柱が一体
であった。これらを同じ郵便局員がこなしていたのである。が、
「民営化」以降は別事業という建前になり同じ郵便局にいても、
郵便貯金、郵便、簡易保険が縦割りになって相互に口出ししな
い、してはならない、干渉してはならない、という狭い場所で
よそよそしい関係となってしまった。郵便局に行って感じる、
昔の明るく庶民的で活気があって賑わう、あの雰囲気は雲散霧
消してしまった。金を動かす郵便貯金事業、簡易保険事業と異
なる郵便事業はユニバーサルサービスで極めて効率が悪い。三
事業一体の時代は郵貯事業、簡易保険事業が郵便事業を支援し、
助けていた、・・・・・・がもう別々なのだ。あの郵便事業が
単独で利益を出すなどそもそも不可能なことだ。結果としては
見るも無惨なサービス低下、料金の値上げである。まさに日本
を殺した、郵便局を殺した小泉郵政民営化であった。
現業部門でも専売事業などは郵政とは事情が異なる。塩の専売
やタバコ事業など別に公営でなくてもいいのは当然だった。
専売が日本たばこに民営化されたあとの新聞記事、男子バレー
ボールの「専売広島」が「JT」になったとき、その選手の気持を
伝えるものだ
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JTの選手たちにいきなり会社からビッグなプレゼントが贈られ
た。東南アジア旅行だ。監督も「もう選手のやる気が違う」と云
う。今までは公務員ということでどこか遠慮していたような気分
だったが、もう会社員なのだ。
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タバコ事業は民営化で正解だ。だが、郵政事業は特別である。こ
の世には民営化に向いた事業と民営化に向かない事業があるという
ことである。郵便局に行って感じる、温かみも熱意もまるでない、
どこかシレーっとした白けた雰囲気、が郵政がいかに民営化に向い
ていなかったかを示すものだ。取り返しがつかない、とはこのこと
である。
この記事へのコメント
金曜日に出した郵便が火曜日に届いても赤字なのですから。
それでもバレンタインの日に行ったら、小さなチョコレートを下さいました。
ホワイトデーの出費は3倍返し以上でした。
この一言に尽きます