日本の教育制度の致命的欠陥、中等教育が義務教育と非義務教育に分断、不毛の「高校入試」!極度の中央集権的教育行政、
日本の教育制度?世界の教育制度と比較してさんざん論じら
れているはずだから、何をいまさらにしても、私の長い「体験」
から日本の教育制度の致命的欠陥を今なお痛切に感じてならな
いのである。あまり日本人は意識しないが「学年」に異常にま
でこだわり過ぎる、大学がそれは極端でも中等教育でもそれが
言える。ただ日本人はそれを当たり前に考えて疑うことを知ら
ない。
さらに日本があまりに中央集権的な強制力による画一的教育
行政が徹底されており。戦後の学制改革も「アメリカの一部の
州で行われている」6・3・3制、が導入され、導入されたが
最後、どうにもこうにもならない絶対不変の堅固な制度として
確立されてしまった。アメリカは州ごとにそれらの制度は異な
り、州独自で決定され、連邦政府の強制は及ばないし、そもそ
もアメリカに現在6・3・3を制度化している州はない。多く
は5・3・4でこれが「義務教育」である。そのバリエーショ
ンでも6・3・3制はアメリカにはない。教育の権限は州でも
学校独自の工夫が基本であり、画一性はないし、大学ほどでも
ないが「学年」意識は希薄である。8・4制や6・2・4制度
もあるが日本は15歳までの中学が「義務教育」、アメリカは
基本、高校まで12年間が義務教育となっている。日本の9年、
15歳で終わる義務教育は世界的に最も現在は中国とともに最も
短いものだ。フランスなどでも16歳までである。
世界をみると「中等教育」が非常に融通有無であること、が
わかるが、日本の戦前は小学校から旧制中学5年間(4年で進学も
可)旧制高校(高度一般教育」3年、大学(専門教育)3年、実は優れ
た制度と分かる。それは中等教育が分断されないこと、高度一
般教養課程が旧制高校で徹底され、大学は専門に特化している
こと、・・・・・であう。これは現在の日本の大学の低評価が
あまりに低調な1年半の教養課程とわずか2年とわずかの専門課
程という双方が半端に終始していることによる。戦前の制度の
優秀さがわかる。さらに日本の大学が、日本人に染み込んだ精
神構造だが「学年」にこだわりすぎること、アメリカは大学で
は「学年」の意識は希薄かない、ただ取得単位数だけが問題で
ある。卒業式も申し込んだものだけが参加という鷹揚さ?であ
る。教養課程と専門課程で4年はアメリカの大学も同じでも中身
が違いすぎる。大学院進学が多いアメリカと非常に少ない日本
、この差は大きい。
日本の教育制度の最大の欠陥は中等教育が13歳~18歳が「義
務教育」と「非義務教育」で分断され、早期に「義務教育」
が終了し、高校まで義務教育の多くの国とことなり、まったく
無意味な「高校入試」に翻弄され、バカ騒ぎをするという悪習
である。いったん制度が決まれば絶対に不変の中央集権的行政
の日本だから思考停止に日本人は陥っているがこの中等教育の
分断、不毛の「高校入試」で生徒の健全な成長を阻害している
か、である。なら多くの外国並みに高校まで義務教育するしか
ないが、現実不可能だろう。
戦後、新制中学ができたが私の公立中学体験でいか公立中学
が荒廃した場所であるか、全く無意味な「高校入試」に翻弄さ
れて一貫した教育ができない、無意味なことにエネルギーが消
費される。この日本で公立中学は本当に荒んだ知とは無縁の、
悪環境というほかない。生まれ変わってもこれを声を大にして
いいたいくらいだ。公立中学で内申書で脅され続けるという非
教育的野蛮がまかり通る日本である。
私立中高一貫なら問題はない。小中一貫はやはり中等教育の
分断という根本的問題をなおざりにした少子化対応の方便でし
かない。親としての現実的解決方法は私立中高一貫に子どもを
進ませることしかない。
さりとて日本の徹底した中央集権の画一的教育行政が変わる
ことはないだろう。正直、公教育の内容、レベルもひどいと思
う。高校入試、共通テストなどという知性とは最もかけ離れた
ものに成長期の生徒が蹂躙されるのみである。特に無意味は
高校入試だし、18歳で知性が共通テストのあの愚問に収束では
情けないの一語に尽きる。
日本を離れた教育環境に子どもやらせることができたら、私
は最も好ましい、と言わざるを得ない。少なくとも私立中高一
貫は義務に近い。。公立中学はひどい。内申書脅迫が当然視な
のだから。
荒れた日本の公立中学

この記事へのコメント
来賓の挨拶がやっと終わり文科省の人が乾杯の音頭という時に、長々と話を始め手元に持っていたビールが温もるくらい長時間話しました。
約30分後にその方が「乾杯」と言って話が終わりました。
文科省の常識は、こんなものです。