郵便配達人はなぜあれほど卑屈なのか?ヤマト、佐川など宅配業者との違い

随分以前から非常に奇異に感じることがある。それは郵便
配達人の卑屈としか思えない。それはこうだ。
わかり易く説明すれば、例えば居住つきのクリニック。があ
る。クリニックの二階に住んでいる。クリニック玄関の横の側
にその本宅の玄関があってポストも本宅の玄関のドアの横にあ
る。ごく当たり前な光景だ。クリニックは普通は診療、営業し
ている。家族は皆、クリニックで勤務。
ここで郵便配達、普通郵便なら自宅玄関ドアの横のポストに
入れたらいい。問題は書留便とかレターパックとか、対面での
受取が必要になる郵便の場合だ。玄関先でチャイムを押す。そ
こで家人がすぐ出てきたらいいが、出てこない場合。クリニッ
クの玄関、受付に向かえばいいだろう。別に当たり前のである。
ヤマトだった佐川だって診療中は堂々と最初から診療営業中の
クリニックに入ってくる。自宅の玄関先に行った場合、出てこ
ないとすぐクリニック受付に荷物を持ってくる。・・・・・・
・・・・・・・当たり前である。現に自宅玄関先と超接近、目と
鼻の先のクリニックでバンバン、仕事をやっているのである。
だが郵便配達人は現実にクリニックで活発に診療していても、
自宅玄関ですぐ出てこない場合、クリニック受つけには絶対に
回ってこないのだ。ポスト設置の場所のドアからしか渡してはな
らない、そんな内規が日本郵便には存在しているのか?である。
活況にクリニックが診療開店しているのに、自宅玄関で出ないと
さっさと不在票を書いておいて行ってしまうのだ。目と鼻の先で
営業開店しているのに、である。
宅配業者は堂々とクリニック受付にやってくる。なかなか出て
こない自宅玄関先などにこだわるなど馬鹿げているからだ。絶対
に配達しなければならない、なら現に営業中のクリニックに出向
く、子どもでも分かることだが、郵便配達人はそうではないので
ある。受付、待合室で郵便配達人の姿をさらしたくない、と考え
ているとしか思えない。最近は自宅玄関先ではチャイムも押さな
い。だまって帰ってしまうのだ。自らの姿をさらしたくない、と
いう卑屈な劣等感でもあるのだろうか。レターパックは結局、黙
ってポストに投函されていた。なら最初からそうしたら、ライト
ではないが。でも最後までチャイムすら鳴らさなかった。何か、
コンプレックスでもあるとしか思えない。
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