墓じまいは増加の一途、他方で墓は樹木葬が増え続ける。もう後継者はいなくなる
墓は日本では宗教性は希薄で、「家族制度」とほぼ一体化
してきた。もうその墓に参り、故人を慕い、弔う人がいなく
なっればこの地上にあってはならない。墓はあくまで残され
た人のためのものである。だから、もう後継者はいない、参
る人もいなくなった墓はこの地上にあってはならないと思う。
・・・・・しかし周囲を見ても墓じまいをする人が多い。子
孫がいつまでも田舎にるはずはなく、また一箇所に定住し続
けるわけではない。もはや超高齢化、超少子化、徹底した核
家族化、東京など大都市圏の人口集中さらに流動化の極みで
旧来の墓制度、仏教寺院への檀家制度もますます消滅化する
だろう、別にゼロになるわけではなく一部では末永く根強く
く残る?とも言い難い。それほど少子化は顕著で「生む女性
」の数が劇的に減少している。もう回復は不可能である。あ
らゆる意味での社会変動は過去の習俗、慣習を押し流してし
まうのは避けられない。その中の「墓制度」であるが、後を
継いでその地で檀那寺と関わりを持ち続けるような子孫は
激減するだろうが、そもそも、それは霊園でも同じことであ
る。
「永代供養」を「半永久」と勘違いしている人も確実にい
るようだが、この世のどこに「永代」があるだろうか、まし
てこの日本である。十数年というのが多い。さらに「納骨堂」
の預かりも期限付きである。遺骨は処理業者によって最終処分
される。廃棄でなく、何かに利用されるようだ。
最も墓を維持し、先祖を祀りつづける子孫が絶えなければ
話は別だが、それが至難なのである。全ては瓦解を始めてい
る。

それと同時に、墓も従来形式でなく樹木葬が増えてもっとも
メインな墓になっている。墓石がない、わけではないが遥かに
コンパクトである。樹木の寄り添って、で墓じまいに柔軟対応
できる。基本は変わらないという人もいるだろうが、あの殺伐
たる墓石の並んだ姿とは比較にならぬ落ち着きと精神性に満ち
ているようだ。樹木も永久ではない。その樹木と共に、という
安らぎである。・・・・・・正直、死んで墓など必要なものと
は思えない。だが、それでも祀って参ってくれる子孫がいるな
ら、だがそれは限りなく可能性は低い。今後は低くなってしま
う。墓は一時的いい、というより一時的でなければならい、こ
れからは、である。死者は生者の邪魔をするなかれ、である。
樹木葬も「墓」である。樹木とともに、であり、「墓じまい」
はやりやすくても「移動」は難しい。だからこそ価値がある。
この記事へのコメント
矢掛町で最古と思われる南北朝の元号がある墓地は、私が除草剤を撒いていますが後継者はいません。