人生はたった二桁の年数、短すぎないか

最近、つくづく思うのは人生のあまりの短さである。もちろ
ん子供時代、二十歳までなら人生は際限もなく長いような錯覚
に陥る。とにかく人生において二十歳までは決定的な重要さを
持つ。また子供時代の記憶は、育てられた方は人生で最も意味
を持つ。だが二十歳をすぎれば人生は一気呵成に時間が経って
しまう。とにかく一年の短さに驚嘆するが、それがたった二桁
の年数、しかも90歳以上は容易ではない。100歳プラスαは最近
は結構いるが、しょせんは二桁年数の僅か過ぎる延長でしかな
い。80歳までじゃあと10年、とするなら、過去を考えれば10年
前なんて昨日みたいなものだ、20年前だってそうだろう。それ
を考えたら唖然であるが、私という人間は重病で一日一生の気
持ちで生きてきたことは確かで、だからそんなこと、は平気?
かといえばちょっと違う。人の寿命の限界性は絶対的である。
いかに重病で一日一生の気持ちでも、クリアーできたらあと
何十年も、かもしれないが、寿命の限界性は絶対的である。
指折り数えてみればいい、100なんかあっという間だろう。
さらに一年は早い。
人生なんて労苦ばかりなんだし、まして若い頃は先も長く可
能性もあるが、実はプレッシャーばかりだ。若い頃はそれゆえ
の自殺も多い。だが、それも過ぎるとバカバカしいほどの人生
の短さ、はかなさに茫然自失となてしまう。長く読みたかった
本もにページ目さえ読み進めず、なすすべなく、の頃の人生は
あっという間に短くなってしまう。
こうなると頭を抱えこむ、何の才能もない人間がたった二桁
の人生でできることなど、大げさに言えば後世に残すようなオリ
ジナルな業績などとは完璧に無縁というもので、要は何も意義あ
る創造はなし得ないということだ。素晴らしい才能に恵まれたよ
うな人間はたった二桁人生、というより若い時代でさえ、相当の
業績を残し得るが、・・・・・凡才以下じゃ、まともに一冊の本
でも100年経っても読み終えられないことが多い。さりとて才能
にみちて業績を残しても、二桁の年数しかこの世にいられない、
ともかく二桁の年数など瞬間に近いものだ。半分近くは寝てい
るわけだし、その中で恥をかいたり散々、苦渋に苛まれたり、た
だ束の間の人生にしては誠に割が合わない、と思ってしまうもの
だ。・・・・・・ではいい人生とは?だが無論、それはある。あ
るが、人間は生きること自体が云うならば限界状況に翻弄される
ようなものだ。誰も安穏と生きられる道理はない。
ともかく、この世にいられるのはどんな天才も愚鈍極まる人間
もたった二桁年数だ。基本は80年プラスαだろうが、誰でも80年
生きられるわけではない。その限られすぎた時間の中で他人の評
価に翻弄され、あくせく虚名を追って、うじうじ、おどおど、こ
れでは手枷足枷の犯罪人と変わるところはないだろう。束縛だら
けで二桁の年数をうじうじして生きる、逆に自在に悠々と生きた
ところで、やっぱり束の間の二桁年数の人生でしかないのも事実
だ。地位や名誉、他人の評価に縛られ、汲々と生きるほど悲しむ
べきことはないだろう。
人はだから絶対的に限界状況に置かれているということだろう。
これが人間の真実の姿だ。だれも自由な人間などいないのである。
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