吉屋信子『私の見た人』1963、実に広い交際だが、とにかく観察眼の鋭さには舌を巻くほど

吉屋信子には1969年に『私も見た美人』という同趣の題名
の著作もあるが、それに先行する1963年、昭和38年の著作で
ある。またちょっと本格的な著作で『自伝的女流文壇史』と
いう著作もある。要は非常に交際の広い人だった、というわ
けである。まあ、女流作家などに限定しない、総合的な交際
録というのか、別に交際でもない、ほんの一、二度逢っただ
けのような人もいる。それは
「幾十たび会っても、いざとなると、どこをどう取り上げ
ていいものやら迷うような印象の人もいるし、たった一度会
っただけでも忘れ得ぬ強烈な印象を与えられる人もいる」
と書いている。とはいえ、著者に強い印象を与えた人は大
別して二種類ありそうで、まず作家、芸術家である。それは
三浦環や与謝野晶子、田村俊子、菊池寛、ちょっと変わって
いるが徳富蘇峰、非常に個性的な人達を著者、吉屋さんは実
にいききと描いている。また個性と個性のぶつかり合い、こ
れは文学史的にも大いに参考になりそうだ。
で、もう一つの強い印象を著者に与えた人たちのジャンル
は、これは女性らしいと言えるが、容姿の美しい人である。
吉屋さんは会うかなり前から、その会う人の美しさをかなり
考えていたようだ。実際にあって思い描いていた美しさが現
実には瓦解する、そのことでその人の人生が浮き彫りになる、
ということで、あまり最近の読者には一般的でない九条武子
や及川道子、九条日浄尼、などである。ここで吉屋さんは、
単にお人形さんのような美しい人には実に激しく反発するの
だ。吉屋さんはその会った女性の美しさがその内面、個性と
どれだけ調和しているのか、男からは想像しにくいほど目を
らんらんとして観察するのだ。どこまでも作家精神で人間性
への関心が常にベースにあるということはある意味、さすが、
と感じさせる。
しかし吉屋さんを「少女小説作家」と蔑むひとがいるが、
だが作家として、また文章家としての吉屋さんの力量は大し
たものだ。例えば三島由紀夫、平岡公威と東大法学部で学籍
番号が続きだった英米法の早川武夫さん、が「三島の文学な
ど文学じゃない、やれ舞踏会、とか貴族とか。石坂洋次郎や
吉屋信子レベルだ」早川武夫先生は吉屋信子を見くびってい
る。実は大した作家なのである。
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