芥川龍之介『老年』再読、柳川龍之介名義で発表。22歳の青年とは思えない老成した筆致。過ぎ去った人生を感慨深く描く

芥川龍之介の『老年』については何度かブログを書いた記憶
がある。1914年、大正3年5月、「新思潮」である。柳川龍之
介の名前で発表された。1925年、大正14年に刊行開始の「現代
文学全集」第一巻が「芥川龍之介集」で、そこで自筆年譜におい
て『老年』を明確に処女作と記している。紛れもなく芥川の処女
作は『老年』なのである。
しかしほんの22歳の青年が書いた文章にしては驚くべき、なん
とも老成の極みである。また江戸情緒にかくも精通しているのは
驚きではある。正直、若い頃、この作品を読んでも何かピンと来
ないが、この年齢になって心に染み入るものを感じるのである。
人が何歳まで生きるのか知らないが、しょせんは束の間、100歳
を多少越えようが事情は何ら変わらない。束の間であり、残り時
間はどんどん短くなるだけである。
芥川の『老年』は丁寧に読むことを要求される。
概略はどうか。
昼頃から降り始めた雪は、もう松の雪除けの縄がたるむほど積
もっている。浅草橋場の玉川軒という茶式料理屋で一中節の順講
(発表会)があった夜のことである。
離れの十五畳には腰の曲がった師匠の宇治紫暁のほか、男性客
が七八人、女性客が十一人いて左右に別れて座り、自分の番を待
っている。右の列の末座に座る小柄な禿げ頭の老人が房さんであ
る。十五のときから茶屋酒を覚え、二十五の前厄には遊女との心
中未遂を起こしたという房さんも二年前に還暦を迎えた。放蕩三
昧で親譲りの玄米問屋の身上をすってしまったが、幸いにも僅か
な縁続きから今はこの料理屋に引き取られ、楽隠居に収まってい
る。
中洲の大将や小川の旦那は房さんの若い頃の話を聞こうとする
が房さん話そうとしない。すっかり歳を取って辻番の老爺のよう
になった房さんに二人は驚く。御会席で御膳が出るタイミングで
房さんは奥へ引っ込んでしまった。自分たちの順番が来る前に小
用をたして、冷で一杯ひっかけようと母屋の方に回った中洲の大
将と小川の旦那は、右手の障子の中から房さんが女をなだめる声
が聞こえた。覗いてみるとそれは房さんが香箱座りの猫を相手の
独り言であった。・・・・・・雪はやむけしきもない。(以上)
ちょっと恐るべき江戸趣味への精通である。これがまず驚き
だ。いかに地元で育ったにしても、である。江戸情緒を色濃く残
す浅草橋場、そこに集まる下町の通人のようすを見慣れたものの
ように、まったく老成した筆致、筆使いで書いている。幼い頃か
ら柳浪などを愛読した、芥川であるが。
芥川は本来、新島姓である。実父は広島県出身、今の新宿二丁
目あたりに牧場を持っていた。龍之介は少年時代からその牧場の
産出の牛乳を飲んで健康体だった。健康を害したのはタバコの害
だろう。だが養母、実母の妹だったかは大通の名で知られた細木
香以の姪であった。その影響で下町的な江戸趣味に色濃く染まっ
ていた芥川家であった。とくに一中節は中心的だった。その師匠
の宇治紫山が「房さん」のモデルとも云う。伯母のフキな一中節
の名取りだった。
文学研究家はことさらの解釈を行っている。別に参考になりそ
うなものはない。私はただ、限りない人生の儚さ、悲しさをそこ
に見るのみである。あの頃、雪は今よりよく降っていた。その雪
はなにか優しくもあり、房さんを見る目は温かい。人に語らぬ、
若い頃の放蕩、その後も放蕩の人生は限りなく房さんの心に宿っ
ているということだろう。香箱座りの猫相手がまたいい。人生は
一度きり、しかも束の間、すべての人間の運命である。「老年」
は人生を観る、顧みることだ。私は過ぎた人生はどんな人生でも、
ある年令に達したら感無量、感慨深いものだと思えてならない。
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