広津和郎『年月の足跡』1963,懐かしい大正時代の回想、(講談社文芸文庫)全4巻,おそるべき自由人の気骨、記憶のリアリティー

非常に長い回想記である。雑誌『群像』に1961年1月から
1963年4月号まで長きに渡り、連載されたものである。自伝
的な回想で現在は講談社文芸文庫から出ている。初版から
講談社であった。・・・・・だが読むとさすがに広津和郎さ
である。でも、今の時代、広津和郎さんがどれほど読まれ、
あるいは関心を持たれているのかである。小説としてはさほ
どではないが、評論、また社会的活動、松川裁判への取り組
みである。だがそれらの記憶もはるか遠くになってしまった、
のかもしれない。だがこの回想記、日本文学史に燦然と輝く
ほどの内容である。
まず明治24年、1891年12月5日、牛込の矢来町で作家、広津
柳浪の次男として生れ、その最初の記憶から書き起こしている。
それから昭和3年、1928年10月、父の柳浪の死までの37年間の
回想記である。中心となるのは大正期である。実際、大正デモ
クラシーなどと言われるが、本当にそんないい時代だったのだ
ろうか、と疑問も感じるのだが、実際、その時代に生きていな
かったのだから知りようもない。本当にリベラルナ古き良き時
代であったのかどうか。
麻布中学の異次元に自由な校風、明治、大正の商人、家主、
今は馴染みがないが兵事係の善良さ、この回想録で数多くの
エピソード、読めば読むほど面白いということだが何より、根
底に広津和郎のも言われぬ記憶のリアリティがすごいと感じる。
ちょっと無類という印象を受ける。広津和郎の頼みをすげなく
断った島村抱月とか、金を巡る直木三十五、葛西善蔵の話とか
、普通なら怒って不機嫌になるような場面で著者は逆に大笑い
して愉快な気持ちになったり、実に云うならば無私な心の持ち
方、観照性である。それは松川事件、松川裁判へのおそるべき
執念、粘り強さ、戦後、一斉を風靡の『異邦人』への自由闊達
なコメントで生じた「異邦人論争」、初期の「怒れるトルスト
イ」それらも、もとは麻生中学、大正時代というリベラルな精
神、硬軟を織り交ぜての自由人の気骨と云うべきだろうか。
でも長編、大部である、読みこなすにはまだまだ時間が必要
である。
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