力むことは簡単だが、ムダな力みなく自然に行動は難しい。意識過剰は人生を滅ぼす。
今になって心底、感じるのだが人間、力むことくらい簡単な
ことはなく、逆にムダな力なく自然、ナチュラルに振る舞い、
行動し、生きることは非常に難しい、ということである。こう
いうと漠然としすぎているが、例えば、わかり易い例で云うな
ら、・・・・・ボクシングの試合、ボクサーが相手にパンチを
放とうと思うが力んで肩に力が入りすぎ、さっぱり実際にはパ
ンチを打てない、とかだ。つまり力みかえるのは当然ながら、
必ず精神の、意識過剰を伴っている、つまり力みとは意識過剰
という精神のムダの産物なわけだが、一時が万事というもので
ある。それは基本的な行動、例えば発話という行為に悪習慣化
したのがバイデン大統領を悩ました吃音である。
力みとは意識過剰は一体であり、しかもそれが習慣化すると
いう危険性がある。それは精神全体を徐々に毀損、大げさでも
なんでもなく人生を失わせかねない可能性がるあるということ
とである。実は私がそうだったからこう書くのである。
普段の行為、行為だけではなく、人生の生き方、広い身での
人生行路が意識過剰に支配されたら、往々にして判断を誤り、
誤った対応に身を滅ぼす、それは人の思想をも侵食する。人間
にとって最も大切なことは自然に、スムースにナチュラルに生
きることだ。といってあまりに漠然であるが、これを健康と思
えば修行は、ことさらの修養は必要ない、というか害毒である。
ヨガの達人を極めた藤本憲幸さんも69歳でなくなられたが、小
学校時代からタバコを吸い、晩年まで午後に起きるという生活
の作家の内田百閒先生は十分長生きしたといえる。朝風呂の
マイペースの小島政二郎先生は102歳、自然なマイペースでい
いということだろう。通常は必死で入ろうと画策されるのが
普通の芸術院会員も入会要請に百閒先生「いやだから、いやだ
よ」精神のマイペースだ。勲章にありがたみはないが、芸術院
なら年金がつく、・・・・・・それでも、である。ムダに生き
ない、・・・・・論旨としてやや飛躍があるが、自然体に生き
ることがいかに重要かということだ。それができなからこそ、
多くの人が迷い、挙げ句人生さえふいにするのだ。凡庸で結講
、人に褒められもせず、ナチュラルライフこそ至高の生き方、
意識過剰は人生を滅ぼす。肩に力がはいって意識過剰、さっぱ
りパンチがでないボクサーのような生き方にならないことだ。
内田百閒先生

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