倉石武四郎『漢字の運命』1952、戦後まもなくの漢字を巡る中国、、日本の状況。大半が中国における状況の紹介

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 現在は世界で漢字を使用する国は中国、これは中国語が母国
語の国だから当然と思ってしまうが、あと一カ国は日本である。
つまり非中国語で漢字を使用は日本一国だけになったわけだが、
状況は、日本は漢字への愛好、執着が深まるばかりである。テ
レビを見れば、といって私はテレビは見ないのだが、家族が
テレビ民放を非常に愛好しているのでイヤでも耳にも入るは
、経費がかからないせいか、やたらクイズ番組が多く、しかも
漢字絡みの問題が異常に多いのである。一般マスメディアを見
ても日本の漢字使用への疑念、反省などの潮流は皆無と言って
よく、逆に「韓国は漢字を捨てた」と半ば侮蔑的な文章さえ載
るくらいである。非中国語での漢字使用が日本だけ、という、
それ自体があまりに特異な事実には全く言及さえしないのであ
る。ますます日本人は漢字にのめり込んでいる。

 だが終戦後は漢字に溺れる表記法が思想、科学の遅れのの基本
的な要因ではないか、と漢字制限が非常の大きなテーマとなって
いた。漢字使用の中国の後進ぶりも影響をした。

 さて1952年、昭和27年に岩波新書で刊行された倉石武四郎に
よる『漢字の運命』はそのような時代状況の産物だ。世間一般
の風潮も漢字の過剰な使用が日本の文化を低迷させ、誤った方
向に日本を追いやったのでは、という考えがひろく一般的だっ
た、

 ともかく戦後、漢字の制限の当用漢字の決定、漢字が日本の
文化、思想の遅れの根本的原因であることは当然とされた。そ
こで中国、日本の漢字を巡る状況を伝えるこの本である。

 中国でも漢字使用について日本以上に深刻な状況を呈していと
ある。実はこの本は中国での漢字を巡る深刻な状況を述べた内容
がほとんどなのである。まず「漢字の性格」の章で、中国の著名
な作家の老舎の中国文明観を紹介し、「文明的野蛮であり、野蛮
的文明」だという。その悲劇的性格を言葉と文字の関係から解明
している。

 「こうして漢字、それは久しく王座に君臨し、その尊厳を謳わ
れていた漢字が裁きの場に立たされている、これを悲劇といわず
して何だろうか」

 章としては「音標文字の創作」、「国語運動三十年」、「ラテ
ン化新文字」、この三つの章で中国における漢字を巡る状況を述
べている。それがまた詳しいのだ。

 文字の問題は政治問題あり、また国語運動は思想、政治運動と
切り離しては考えられない。この点で倉石氏はその背景に語らせ
るという手法でなかなか見事だ。新しく共産党政権となって何か
変化が出るかどうか、注視しているという。この本が中国思想史
という性格を持っているのだ。

 東大での倉石氏の「中国の言語文字問題」という講義をベース
に組み立てられている。道理で難解なはずだ。内容は毅然たるも
ので説得力は比類ない。といって文章はユーモアあり、読みやす
い。

 また日本における漢字と文字の状況「漢字の運命」中国近代化
の過程での漢字の運命は危ういが、結論として

 「中国が苦心の挙げ句、もし漢字を廃止しても、日本はなお
多くの漢字を常備軍としてさらに膨大な漢字を盾にする」

 という状況を予想しているが、実際、まさにその通り、漢字に
限りなくのめり込み、それが愛国主義と結合さえしているのであ
る。日本の永久の漢字国家はどうしようもないわけであろう。

 中国の状況は見ての通り、漢字離脱はあり得ないようだ。その
意味で親米国家の日本は文字では中国と兄弟国というわけである。
日本人はその点に疑問も何の葛藤すらないのである。

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