村上兵衛『聯隊旗手』1956,陸士出、元中尉が書く戦争文学、「辻政信」参謀が登場、実際の「天皇」を見ての唖然

村上兵衛という作家、陸軍軍人の家系に生まれ、ちょっと
難はあったが陸士卒。作家として村上といえば時代小説で有
名な村上元三がいる。こちらは陸士から陸軍中尉、戦後、東
大独文で実は西洋文明への非常な憧れをもっていた作家で、
後年、右翼論客のような執筆を「正論」などで行ったが、単
なる右翼ではない。何より戦争、軍隊の実態を知っていた戦
地での経験はなく、近衛歩兵連隊の「連隊旗手」旧漢字では
聯隊旗手を務め、終戦。でも村上兵衛という名前、村上元三
と大内兵衛が合わさったようでおもしろい。1923年、大正12
年、島根県浜田市生まれ。
この本は1956年、鱒書房刊、村上兵衛の初期の作品集である。
なお「昭和戦争文学全集10」集英社にも収録されている。
「あとがき」で「この三年間の仕事の中から戦争文学の足場
にするつもりで書いた作品のみ選んだ」とある。
表題作は『聯隊旗手』である。さらに『医師と参謀』という
作品も収録、それ以外も。二作品に共通なのは名前は変えてい
うるが参謀の辻政信が出てくることだ。
『聯隊旗手』は著者が近衛歩兵連隊の聯隊旗手になってから
の経験談ではなく、ガダルカナルの戦いの最後で行方不明にな
った軍旗を一人の注意が探しに行って戦死するという話である。
この陸軍中尉はかって昭和天皇の前に立ったとき、「これが
あの天皇か?」と唖然とした男である。彼は「それまで抱いて
いた天皇へのイメージは、この目前の存在とはとてつもなく、
かけ離れていた。この天皇、昭和天皇には威厳というものが全く
欠けていたばかりか、立っているのも大儀そうであった。さらに
目に見えない糸で操られていて、やっと立っているデクのような
感じであった」
実際に自分の目で見た天皇に唖然呆然となった失望を味わった
軍人が、天皇の軍隊、皇軍の象徴である軍旗の旗手となり、南方
の戦線に出ていくのである。この、云うならば矛盾をその心の中
でどう解決したのか、これがこの作品のテーマであるが、それを
「中尉は軍旗に対し、忠誠を誓った」と全く簡単に片付けている。
さらに、いよいよ最後に、中尉はガダルカナルのジャングルに
軍旗を探しに行くのだが、・・・・・単に忠誠心で行ったのか、
それとも東京の大本営から撤退作戦の指導にやってきていた槌参
謀(モデルは辻政信)の反感からやったのか、それがさっぱりボ
ヤけている。中尉はその最後の段階で「無謀な大本営の作戦」を
非難し、「あのロボット天皇」を思い浮かべ、「そのロボット天
皇を思うままに操っている大本営の奴ら」を考えている。
そんな軍人があったとして、旗手となってガダルカナルへ行っ
て、最後に軍旗を探索に行く決意は十分、異常である。それを納
得させるような内容は見いだせない、ただ懐疑的な軍人とデクの
ようなロボットの天皇と大本営の悪質な参謀を非難しているだけ
である。
『医師と参謀』、ここにも辻政信である峠参謀が出てくる。ノ
モンハンで負傷、ソ連の捕虜と成った停戦で返された一人の少尉
に、少尉入院の病院に峠参謀が行ってピストルを渡して自決を要
求めた。で、戦後、この峠参謀は参議院議員となった。ある日、
峠議員(辻政信)は東京の街角で自決を促した少尉の担当軍医と
出会った。戦後は医師として働く元軍医、料亭で二人で飲んだ。
その元軍医の回想で成り立っている。それからさらに時が過ぎ、
元軍医は峠議員に自決を強要された少尉のことを話した。峠、
辻政信は「どうにも思い出せませんなあ」で作者は「多くの些事
は彼の記憶ではわ忘れ去られるということだろう。輝かしい勝利
の戦場でも、忘れられた無名の白骨は眠るように」で「一将功成
って万骨枯る」という陳腐な言葉を繰り返すようなもので、内容
は峠こと辻政信の暴虐な軍人を平板に述べただけである。
戦記文学の足場となる、だから戦記文学ではないわけだ。その
通りの文学である。
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