多岐川恭、1958年に短編集『落ちる』で直木賞、『濡れた心』」で江戸川乱歩賞受賞


 昭和33年、1958年という年は日本の戦後史で、なにか非常
な意味を持つ年だったように思えてならない。私はまだ幼く、
その年は大阪、東海道線東淀川駅近くの二階建てアパートの
二階の部屋に叔母夫婦と長く住んでいた。私の人生で実は最も
幸福な時間だった。子供心に、あの当時の日本の雰囲気は一種
、特別だったように感じられた。なぜか?

 その昭和33年、1958年に第二回江戸川乱歩賞を受賞した多岐
川恭、短編集『落ちる』で第40回直木賞をも受賞した、処女作
は白家太郎なるペンネームで探偵雑誌「宝石」の懸賞小説に佳
作となった『みかん山』、昭和31年、1956年に河出書房が募集
の書き下ろし探偵小説に『氷柱」を応募、入選した。この作品
を木々高太郎は「どこかモンテ・クリストやアルセーヌ・ルパ
ンの味がある」と評し、直木賞に推したという。『氷柱』の主
人公は孤独であり、厭世的な男で、たそがれの灰色の風景を歩
みながら「私は常に傍観者であったし、今後も傍観者であるこ
とを変えようとは思わない」と呟く。これは当時の勤務先、
毎日新聞福岡支社での同僚の感じるイメージでもあり、こざっ
ぱりと身ぎれい、何の変哲もない小柄な中年男性、という実際
の姿とも共通性があるとされた。

  昭和32年、毎日新聞福岡で校正の仕事中の多岐川恭

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 その平凡な新聞記者、というよろ毎日新聞筑後版の校正係は
昭和33年のW受賞で作家の道へ転身した。

 その江戸川乱歩賞受賞『濡れた心』、意表をついた斬新な構成
、内容の作品だったが選考委員には意外と不評、だが荒正人が強
く推した。日記体で書かれており、文章は平明、だが魅力もある。
素材が若い女性の同性愛、これもはるか前の時代ながら、イヤミ
がない。この発想の奇抜さはこの作品のまずは大きな要素で成功
のまた要素だろう、探偵推理小説というと角々した強面のイメー
ジが多いが、巧みに柔らさでそれを避けている。不自然さがない
というべきか、

 選考委員は荒正人のみ称賛、あとは辛口で「もう奨励賞と受け取
っていただきたい」というコメントまであった。妙な青臭さを感じ
させたのかもしれない。

 女子高生の同性愛が中心にあり、彼女らを取り巻く男女の間の相
克がいたって穏やかな筆致で綴られている。奔放にしてどこかエキ
ゾチックな美貌を持つ文学少女の典子とスポーツ、演劇を伸びやか
にたしなむ寿利。この二人の美少女が中心となって全編、二人の日
記、手記、メモなどで構成される。同性愛の成就に従って、その取
り巻きにも漣が生じる、取り巻きの日記、手記も示されていく。ま
あ、手法の斬新さなそれはそうとして、文章の巧みさは際立ってい
る。典子に求愛の二人の男性が殺される、・・・・・から急展開で
ある。

 直木賞受賞の短編集『落ちる』その中の『ある脅迫』あらすじは
述べれば長々である。富民銀行K市支店に強盗が入った。深夜、電
報配達を装い、小使いを騙し、通用門から拳銃を突きつけて侵入、
その夜の宿直は気の小さい万年平の中沢又吉。賊は小使いを縛り、
寝ている又吉(姓でなく名前)を叩き起こし、金庫まで案内させる。
警報機は二日前に故障していた。

 「金庫の開け方はお偉方しか知らないので」と又吉、その答え
を聞いて賊はお偉方の引き出しを調べ始めた。が、次長の引き出し
を開けた途端、息を呑み、狼狽した。やがて引き出しの中身から暗
号表を見つけ、大きく息をついた。賊は金庫の中を見て札を選んだ。
仕事を終えると賊は又吉もしばったが、賊がでていく時、お辞儀を
した。そうすると賊は立ち止まって高笑い、黒いスカーフを取った
その顔は、実は次長だった。

 翌日、次長は会議室に皆を集め、昨夜の事件を述べた。

 「昨夜は私が一日強盗になったよ。警備を試したんだ」

 次長はその経験からの教訓を多々述べた。演説は終わり、又吉だ
け会議室に残った。次長が近づいてきた。又吉は「実は私は最初か
ら賊が次長だと分かっていました」その根拠を述べた。「お辞儀は
挨拶の印でした、・・・・・気づいていると知らせたのです。それ
で次長さん、あなたは本当の強盗をお芝居にスリ変えてしまったん
でしょう」

 次長は顔面蒼白になった「どうしてほしいのだ、金がいるのか?」

「とんでもない、さしあたって私をしばらく会議室で休息させてく
ださい。やろしければ煙草を一本拝借します」

 これは唸らせるが、現実、あり得ないに近い話だろうが、おもしろ
い。

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