森泉笙子『危険な共存』1970,埴谷雄高跋文、丸尾長顕に文学的才能を見出された日劇ダンサー、後年は画家として名を成す

ちょっと、まずご存じない人が多い、というか、、ほんとん
どだと思うが、簡単な略歴がWikiに記されている。1933年生ま
れ、Wikiでは私立武蔵野高校卒とある。どうでもいいことだが
疑問も。モダン舞踊の道に、丸尾長顕に日劇で文学的才能
を見出されたそうで、1959年、25歳のとき本名、関根庸子とし
て光文社から『私の宿命に唾をかけたい』が処女作、1965年に
埴谷雄高に師事、ペンネーム森泉笙子をもらう。で1970年に初
の長編『危険な共存』を河出書房新社から刊行。文壇にルート
がついたわけであるが、小説家としての道は歩まなかった。晩
年は画家として活動、名が知られている。
埴谷雄高が跋文(後序)を書いている。たいしたものだ。書
き下ろしの長編である。1965年から1969までバーのマダムをし
ていたそうで、東京だし芸能界に通じたのだろうか。内容は女性
歌手の世界に材を取って、現代風俗の底に流れる恋愛の姿、その
有り様を探ったような作品だ。1970年だ、あらゆる意味で日本が
社会現象でも最も活発だった時代、愛の不毛よく語られていた気
がするが、この作品も愛の不毛、恋愛の不毛を逆手に取り、自己
の確立を図ろうとする女性たちを描く。旧来の結婚制度を打破、
というのかタイトルがそのテーマを物語るようだ。
ヒロインの女性が二人、一線か退いているがカムバックを狙う
ノイローゼ気味の歌手、女性歌手。そのカムバックリサイタルを
夫ともに実現しようとする女性歌手の夫とかかりつけ精神科主治
医。その過程で精神科医と彼女が関係を持つ。さらなる筋は、彼
女より10歳ほど若い若い女性歌手がデビューのあtめ、数年来の
恋人の暗黙の了解であるレストランシアターの演出担当者に体を
任せる、この二つの三角関係は最初並行に進む、が次第に演出家
を中心としてもつれだし、あげくに次の栄光を目指した新人歌手
は財界の黒幕風の男と結びつき、失恋した演出家がカムバック狙
いの女性歌手に接近し、自動車事故にあう、・・・・という感じ
だろうが、どうも文学としては、ちょっと、通俗に流れて最後あ
たりで背伸びしていた文学少女の姿が露呈しているようだ。
ブレイクの「大脳には叡智、心臓には悲哀、生殖器には美」と
いう言葉を引用し、大脳、心臓、生殖器の三位一体にまで性を、
いわば昇華しようという女性主人公の考えは、師匠の埴谷の「女
性の性の価値転換」なのかもしれない。繊細な文章だが、論理的
に捨てがたい。
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