三好達治『月の十日』講談社文芸文庫、社会的随筆と紀行文「月の十日」収録、

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 三好達治の死の翌年、新潮社から刊行され、その後、講談社
文芸文庫で出版された。内容は社会観察、批評的な随筆「東京
雑記」、「灯火言」、「随筆四題」などと日本各地を訪れての
その印象、旅情を描いた紀行文「月の十日」が収録されている。
表題となったのは紀行文である。だが社会的随筆の方が面白く
もあるし内容が鋭い。記す時代はまだやや戦後まもなく的な印
象である。

 で萩原朔太郎の感覚の異常な鋭さ、を彷彿とさせるような、
三好達治の聴覚の異常な鋭さがまた強く印象に残る。「東京雑
記」にある文章だが

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 先日、新宿角筈のあたりで電車を待合していると例の拡声器
の広告放送がすぐ向こうの二階から聞こえてきた。・・・・・
何を宣伝していたものか、内容の方は一向に記憶にないが、無闇
と抑揚に富んで艶めかしいーもちろん品のよくないーその甘った
れた発声法は、電車が動き出してから後もなお私の耳の奥を観世
よりが何かを以てくすぐり続けるような印象をとどめた。

 世態が変わり、女の服装身嗜みお化粧までも移り変わり、日常
用語自体がその語法も含めて変わっていき、耳にするラジオ、目
にする読み物、ないし映画演劇からの影響が常に作用している中
で元来移り気ンあ女性の発声法のみが変化しないわけはない。

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 三好達治によれば女性の発声法の変化は庶民の女だけではなく、
従来「素朴な実直な美しい声」で話すことを嗜みとした中産階級
の「教養があり、品位ある婦人」にまで及んでいるという。それ
はすなわち女の声の「新しく板につかない」演技法であり、女の
そういう声をことさら望む男たちの貧寒な感受性を示す鏡だ、と
いう。それが現代の日本というもので、この浮薄さは「社会が堅
実にならない限り、修正はされまい」という。

 どうでもいいようだが、三好達治は視覚型というより聴覚型の
詩人で、いうならば市井に閑居して外の音に聞き耳を立てるとい
うような、決して放浪タイプではない、詩人だったのだろうか。
耳は外に向かい、見るは内面に向かう、というべきだろうか。
職業的詩人などというものは常に自分が文壇や編集者からどう思
われているか、つねに計算している孤独な存在であろう。三好達
治の不幸もここらに発しているのかもしれない。

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