稲垣真美『兵役を拒否した日本人』1972,岩波新書:灯台社、明石順三らの戦時下の抵抗、

著者は稲垣真美、いながきまさみ、反戦運動と酒に関しての
著書がいい。この本は岩波新書だが、また1996年にやはり岩波
新書で『ワインの常識』を出したが、この内容がでたらめと大
反発を生んで、カウンターで1997年『岩波新書「ワインの常識」
の非常識』という山本博著が人間科学社から刊行されている。
ワインについてはデタラメでもこの『兵役を拒否した日本人』
は優れた内容だ。『ワインの常識』はのらりくらりの自慢話で
「何が常識だ!」と怒りを買った。だが、こちらはいい。岩波
『兵役を拒否した日本人』の高評価につい油断した結果だろう。
あの戦前の国家神道と軍国主義が結びついた日本で、なんと
か抵抗したのは共産党の中の一握りのみ、の時代に全く市井の
平凡な市民が真正面から不服従を一貫し、それらの事実は知ら
れることもなく、また市井の片隅でひっそり生きていたという
事実。それは明石順三を中心とする灯台社の人たちである。
明石順三はアメリカでワッチタワーの教義を学び、1926年に
帰国し、その日本支部としての灯台社を設立した。それは聖書
に書かれていることを絶対的真理として、現実の世界を全面否
定し、神の国のみを待望するとの教義であったが、これは明治
以後の国家神道、近代天皇教と極端な軍国主義国家と真っ向、
対立する。灯台社の人々は当時の日本を全否定した。村本一生
ら二人は徴兵に応じたが、軍隊内では銃を返上し、宮城遥拝も
断固拒否、訓練も拒否。この結果、灯台社の人々、全員が特高
に検挙されるという弾圧を受けた。
1942年4月9日の法廷での明石三郎の言葉が基本、全てであろ
う。
「現在、私の後についてきている者は四人しか残っていませ
ん。私を含め、五人です。一億人対五人の戦いです。いずれが
勝つかは近い将来、証明されるでしょう。それを私は確信して
います。この平安が私達にある以上、何も申し上げることはご
ざいません」
その五人は明石順三と女性が二人、朝鮮出身の青年が二人で
あった。
抵抗は大きな犠牲を伴う。明石順三の妻は獄死、長男の真人
は転向し、順三は終生、真人を絶縁した。超過酷な獄中生活を
耐え抜いた順三と村本一生が戦後、解放され、再会した。順三
は骨皮に痩せていた村本の手を握って「おもしろかったねぇ」
と言った。
明石順三、灯台社のことはあまり語られない、だいそれた行
動も壮烈さもないからであろう。地味ながら自らの信念で反戦
平和主義を聖書への絶対的帰依によって貫いた「地味な強さ」
を学ぶ価値は十分あるということだろう。
最後に一言、大新聞はカルトとしてエホバの証人を危険な
宗教と攻撃するが、戦前、完全に戦争に協力し、弾圧に賛同し
た大新聞が戦時下に戦争への強力を堂々と拒否した明石順三
の流れの宗教をカルト、危険と我が身の罪を顧みず、行うのは
実は戦前の継続ではないのか、ということだ。
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