黒岩重吾『天の川の太陽』1979壬申の乱をテーマに大海人皇子を中心とし古代史ロマン

 
 黒岩重吾の人生行路は興味深い。生まれたのが1924年、大正
13年で徴兵世代に入っていしまった。家庭、両親はいい。大阪
府立中学の受験に失敗、奈良県の宇陀中学(戦後の大宇陀高校、
2023年に閉校)に入学卒業4年修了でど同志社大予科、とここ
まではいいが徴兵世代に入ったため、北満に、そこから終戦で
苦難の挙げ句逃避行、朝鮮半島に辿り着き、奇蹟の生還を果た
した。その後も戦後のドサクサに翻弄された、・・・・。悪食
で腐った肉を食べて小児麻痺、も実は大きな出来事だった。ま
た昭和40年台、今東光主宰の「のら犬の会」にも所属、その
童顔ぶりに皆、驚いた、という。、

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 初期の西成ものはよく知られている。だが作家生活後半は一
転、日本古代史ものを生み出した。入った宇陀中学、所在は奈
良県の明日香村よりさらに東に接する、ということで、それが
古代史ものに向かい動機となったのだろうか、

 黒岩重吾はごく初期に『新設信太狐』なる古代史にまつわる
短編を発表した以外は西成もの、などの現代ものを書き続けた。
だが1974年、昭和40年代末ころから古代史に取り組み、本格的
な歴史ロマンを目指した。きっかけは高松塚の壁画発見のニュ
ーすであった、という。無論、宇陀中学に入ったこと、もある
はずだ。宇陀中学に通い、小青年期に馴染み深い土地である、
ということで多くの謎を秘める古代史の世界への興味と、若い!
時代の思い出が重なって、古代史への情熱をたぎらせた、のだ
ろう、

 『天の川の太陽』は先に連載が終わって刊行された『紅蓮の
女王』より早く雑誌連載が始まっていた。だから古代史を素材
とした作品の完成は二作目だが執筆開始は最初の作品である。

 古代天皇制の固まっていく時代、王位継承争い、壬申の乱を
テーマとしている。

 主人公は天智天皇の弟に当たる大海人皇子、大化の改新から1
3年ほど後の658年、有間皇子が謀反を企み、逮捕、処罰される
あたりから筆を起こしている。大海人皇子の兄の中大兄皇子は
藤原鎌足と結び、蘇我入鹿、蘇我蝦夷を倒して政権を握って以
後、危険分子を次々と葬り去り、その体制を堅固にするが、大
海人は兄の冷酷非情なやりかた、また鎌足の政治力に対し、ひそ
かに警戒心を持ち続ける、

 大海人は中大兄の娘、大田皇女や鵜野讃良を妃とし、姉妹なが
ら性格の異なる二女性と愛の生活を送るが、万一の場合を考え、
舎人たちとの連携を密にし、地方豪族の子弟でもある舎人たちも
また、武人肌の大海人に深い親愛の念をもっていた。

 その頃、朝鮮の百済や高句麗は新羅と結んだ唐の侵略を怖れ、
しばし倭国に使いを送ったが、中大兄など貴族たちは友好国の
百済を支持していた。その後、新羅と唐の連合軍によって百済が
滅亡し、再興への支援を求められると中大兄は鎌足の反対にも拘
らず、軍の派遣を決意、大海人にもその協力を求めた。だが遠征
の途中、斉明帝は狂死、倭国の水軍は白村江の戦いで唐の水軍に
敗れ、大きな打撃を受けた、それは国内に多くの問題ももたらし
た。

 中大兄はふたたび鎌足と結び、亡命百済人たちの影響もあって
宮廷内に学問的雰囲気が強まったが、他方で唐の攻撃への危機感
から防砦の建設や近江新都の建設が進められた。だが新都の建設
に多数の農民を動員、地方の豪族に間に不満が高まった。しかも
その間に中大兄の子である大友皇子の存在が目立つようになって
弟の大海人の立場が変化した。

 やがて多くの反対を押し切って近江遷都が実現し、中大兄皇子
は皇太子をたてたいと考え始めるが、これは大海人皇子にとって
身に危険が迫ることだった。大海人は表面的には天皇に逆らわな
いように努めるが、調停役だった鎌足の死後、完全な独裁者となっ
た天皇は大友皇子への寵愛を深め、大海人は急速に蚊帳の外の立場
に追いやられる。

 すでに大海人は中大兄との戦争を予想、天皇の死の直前出家し、
吉野の宮滝に行き、危機を脱する。彼は腹心の舎人らを使って挙兵
の準備を行う。八ヶ月ほど後、挙兵した。

 大海人らの一行は吉野を出て伊勢に向かい、途中で近江から脱出
した高市皇子や大津皇子と合流、伊勢、美濃、尾張の兵を掌握し、
野上に行宮を置く。こうして大海人の軍は大和で挙兵した大伴吹負
などとも呼応し、近江路と大和方面の各地域で迎え撃つ朝廷軍と戦
い、最後に瀬田で両軍は対決、激戦の後、大海人軍が勝利、大海人
軍は近江新都になだれこみ、大友応じは自殺、近江朝廷は滅亡した。

 これは伝えられる古代史に沿ったものだが、小説だから、当時
の内外の諸情勢や軍臣たち、豪族たちの動きをも細かく述べ、大
海人やその複数の妃たちの愛のありかたなどを、大いに想像をこ
らして、その感情を描き、彼を慕う舎人の思い、特に大海人と苦
難を共にした後の女性天皇、持統天皇となる鵜野讃良は政治的問
題も語り合える知的な女性として描かれ、その他に彼のかっての
恋人で結局、兄のものとなった額田王、二人の娘で大友の妃とな
る十市皇女なども登場する。

 とはいえ、伝えられる歴史は確証はない。その問題については
黒岩重吾なりの判断を下している、大海人の包容力や決断力にふ
れると同時に中大兄もそれなりに評価はしている。しかし生活様
式など古代人はわからないことばかり、それを作品化したのは、
流石に西成ものでも明らかな文章力である。古代史の小説家は難
しい、井上靖にもあるが、どう実在感に乏しい、だが黒岩は一編
の歴史的ロマンに仕上げている。























人らの思いをも描いて歴史的な記述に
生彩を与えている。特に大海人と苦難をともにして後に持統天皇と
なる、女性天皇となる鵜野讃良

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