松原一枝『お前よ美しくあれと声がする』1970、早世した福岡出身の詩人、矢山哲治を描く

集英社から1970年に刊行、1975年の田村俊子賞を受賞した
作品である。福岡出身の無名詩人の矢山哲治を主人公とする
長編小説である。私などは矢山というと即座に岡山県選出の
社会党国会議員の矢山友作を想起してしまうが、多少の共通
点があるように思える。それはさておき、矢山哲治とは1918
~1943、24歳で鉄道自殺した詩人、福岡市出身、修猷館中学
から福岡高校、九州大農学部に進んだ。1939年、福岡市で昭
和14年、1939年に創刊された同人誌『こをろ』の主宰者とな
った。14号まで刊行している。昭和19年に終刊しており、そ
の前年、主宰者の矢山哲治が死んでいるため13号が追悼号に
あてられている。
著者の松原一枝は1916~2011、山口県生まれ、大連育ち、
福岡女子高等専門学校、現在の福岡女子大卒。この作品の
冒頭でまず、著者は「こをろ」第13号に掲載の矢山哲治の
略歴を引用している。
矢山哲治は大正7年、1918年に福岡生まれ、福岡高等学校
理科甲類を経て九州帝大農学部に進んだ。兵役で繰り上げ卒業
、昭和17年、1942年。久留米西部第51部隊に入隊、。間もなく
胸の病を得て久留米陸軍病院に入院、小康を得て自宅療養中に
昭和18年、1943年1月に西鉄線で飛び込み自殺。25年にも満た
ない短すぎる生涯だった。がその人生で三冊の詩集、自伝的な
小説、エッセイをいくつか残した。著者の松原一枝は福岡女子
高専ということで福岡市と関わりがある。矢山の作品と著者が
直接に見聞した記憶で長編を書き上げている。
あとがきで「青春を詩と真実に生きた若者、矢山哲治にこの
一篇を鎮魂歌として捧げたい」と述べているように、執筆動機
は非常に純粋である。一人の無名詩人の青春を描くことで、あ
の十五年戦争、対米戦争勃発前後に生きた若者たちの姿を描い
ているが女性はイニシャルにとどめている。男性はすべて実名
であると思う。その中には戦後、作家、文学者として名を成し
や島尾敏雄、阿川弘之、真鍋呉夫、小島直記らの名前も見える。
ここでどうしても連想するのは大阪外語から九州帝大に入った
庄野潤三、が当時の九州帝大の学生群像を描いた作品『前途』
である。『前途』には肉親以外に若い女性は登場しないが、本
書は、さすがに女性作家ということで、かなり賑やかな女性達
が登場する。まず著者も福岡の学校に居た関係で主人公の周辺
にいた若い女性グループの一人だったのではないだろうか。
対米戦争勃発の前後という緊迫の時代にもかかわらず、それ
ぞれ10人前後の男女がグループでハイキングに出かけたり、海
水浴を楽しんだり、実際にいけている。だがそのような行動が
可能だったのは、主として矢山哲治の俗世間に囚われない、真
実の純粋な人間性に依るものと思える。もはや戦時下での男女
の交際も容易ではなかったわけで、あの厳しい抑圧的な戦時下
の中で男女の仲が結果的に成就したのは、、因襲を無視した主
人公の人間性の魅力にあったと断言している。
随所に主人公、矢山の詩を散りばめ、主人公と3人の女性との
交渉にメインの重点があり、それは友情ながら恋愛的でもあった
という。
最後に、一人の女友達にプロポーズの翌日、矢山はあっけなく
西鉄に轢かれて死んでしまうのである。
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