青木保『沈黙の文化を尋ねて』1982,タイにおける仏教、日本は「仏教国」ではない

 ダウンロード - 2025-06-09T163026.021.jpg
 文化人類学者で文化庁長官も務めた青木保博士の著書、で
中公文庫である。東南アジア、あるいは南アジアのタイ、ビル
マ、シュリランカなどは仏教国として知られている。それで日
本人がタイに対して「同じ仏教国だ」などと思い込んでいるこ
とが多いのだが、青木さんによると「仏教国」といって日本の
仏教とはまるで異なる、というか、そもそもタイなどの仏教国
の人が日本を「仏教国」などと全く思っていないのである。日
本人を仏教徒として仲間とかけらも思っていない。だいたい、
僧侶が妻を持ったり、そもそも戒律と無縁な国が仏教国である
はずはない、というのだ。日本では自らの仏教を自称で「大乗
仏教」、戒律などに厳重なタイなどの仏教を「小乗仏教」など
と一種の蔑称を投げつけること自体が、とんでもないことなの
である。なんでも、やりたい放題、を「大乗仏教」では大笑い
されるがおちだろうという。

 日本は要は葬儀宗教であり、それが本質的には決して「仏教」
でないことは現実を見て明らかである。葬儀宗教といっても、「
宗教?」である。日本の自称仏教はあまりに奇怪である。「死
ねば仏弟子」になる、だから死んだら「戒名」、こんなバカな話
もないが、それが社会全体に罷り通っている。まあ、これは私の
感慨であるが。タイなどの仏教は「テラワーダ仏教」とうべきと
著者の意見、

 青木保博士は著名なる文化人類学者だが、異質の文化をただ本
で研究しても意味はない、何よりその中に実際に入らないとダメ
だと悟って、タイの僧院に実際に入って修行したのだ。その経験
はまた別の著書にまとめてある。

 『沈黙の文化を訪ねて』はそういうタイなどの心を外側から見
るのではなく、出来るだけ内側に入って理解しようと努めた結果
の本である。1982年の刊行あから例示は古いといえば古い。1974
年、学生運動でタノム政権が倒れ、新政権が三日間の国民休暇宣
言を発した。だから警官さえである。交通整理は誰がやる?学生
やボーイスカウトがやったのだが、混乱は?と危惧されたが、民
衆の間でこの三日間、盗み、傷害事件などは一切行ってはならな
い、ということが暗黙の了解で存在し、実際にそうなったという。
別にテレビで、新聞で、でなく、単に口から口の、身振りから身
振りの意志の伝達で平和が保たれたという。ここらが、さすが、
・・・・・・というが近年のタイは軍事政権の支配、・・・・・
これはどう解釈、といって現在の問題は古書だけに論じられてい
ない。ただエッセイ集だが、素朴から鋭いう疑問という流れであ
り、小さな本だが教えられる点は多いようだ。2019年に民政に移
管されているが、以前、親軍的な政権である。容易な道はないよ
うだ。

この記事へのコメント