S.カンドウ『バスクの星』辰野隆訳、1956,日本のよき理解者のフランス人神父、戦前、終戦直後の日本の思い出

本書は1956年、昭和31年に辰野隆訳で刊行された「希少」
本とされる。古書というのみならず、そもそもあまり売れて
おらず、それで希少、実は、その内容が得難いというのが重
要な点である。著者のSauveur Candau,ソーヴール・カンドウ
、1897~1955,パリ外国宣教会所属のカトリック神父である。
辰野隆訳で1956年、刊行された本だが、その前年、1955年
9月に東京の新宿区で著者のカンドウは亡くなっている。そ
の随想33篇と日記、数通の書簡が収録されている。編集にあた
ったのは甥のジャック・カンドウであり、「私は叔父を裏切ら
ないていどに、工夫と思慮を重ね、叔父の日本に対する理解と
愛情、まら自分の生まれ故郷であるバスク地方への愛情を示す
文章も選んで収録し、公開する」と述べている。これは「あと
がき」である。遺書で日記は焼却するようにとあったそうで、
やや問題かもしれないが。
著者のソーヴール・カンドウには二つの故郷があった。まず
フランスのバスク地方であり、ここで生まれ育ち、「信仰の光
につつまれて」成人したという。でもう一つの故郷は?なんと
日本なのだという。しかも永遠の星となったいうのだ。それゆ
え戦前の日本では最もよく知られた神父であった。
バスクの思い出は多くの箇所で述べられているが、特に1918
年かえあ14年間の故郷の父親への手紙によく現れている。平和
で静かなバスクの生活は「ものの感じ方、考え方、頭の働かせ方
まで」に特定の色彩を与えたという。それはまた信仰と愛を象徴
し、著者、カンドウは「単純で、気高く統一あるその教えに忠実
であることができるように」と祈るのである。
1924年、大正13年に日本に渡り、第二次大戦中の数年を除くほ
か、ずっと日本で暮らした著者は「日本に一度も幻滅を感じたこ
とはなかった。また日本に大きな期待を抱くことも、あれこれ空
想することもなかった。その結果、日本は私が期待していた以上
のものを与えてくれた」とある。
「日本ほどいい国はない」と繰り返すが、カンドウが愛したの
は、秩序ある自然の姿であり、人工がもたらした混乱はきらった。
日本の文化に対するカンドウの敬意は「死者への思いと、死への
認識」で、人間と獣の境界線を確信した。
日本を愛するが故に、ときとしての批判は厳しい。「一つの国
民を高めるのは、その長所短所への自覚である。つまらぬ優越感
の虜にならず、長所を活かしていくならば、日本の前途は輝かし
い」とある。自由になるには「号令に従って振る舞うときではな
く、各人が自分の中に自分の行動の明らかな自由を見出すことが
出来る時」なのである。
1945年7月17日、アメリカの新聞が「日本の崩壊は近い」と断
言したのを見て、こう書いている。
「この戦争の最後の試練は日本人の持っていた優越感の中の
、まやかし的な部分を露呈させることだろう。そして、日本が精
神的発展と技術的進歩において、どのくらい世界の他の国々に依
存しているか、わかるだろう」。あまりに傲慢な部分がありすぎ
た結果がこの苦難なのだから、これを克服し、魅力ある国になっ
て、今度は進歩の道を辿る」
というのだが、その理由は
「日本は他の国よりずっと人間の堕落が少なく、多くの自然徳、
偉大な精神の力がある」
という。だが日本は戦争は「精神力で勝つ」といい続けてきた。
その戦争に向かった「精神力」は真の精神力ではないという。
「日本を民主化する唯一無二の方法は、日本で真実の歴史学を
発展させること」で、「日本にかけていたのは歴史への批判精神で
ある」という。
カンドウは日本な天皇への敬愛が強いので、結果は、「天皇を担
いだ社会主義国になる」と予想した。
「民主主義を頻繁な意見の交換と言うなら、日本は世界で最も民
主的な民族である」という。「日本は必ず大国に復帰する」と言い
切っている。
フランスの医師の忠告に反して終戦後の日本にまたやってきたカ
ンドウ、それゆr課せられた使命には忠実であろうとした。この本
にある日本人への言葉はカンドウの遺言となったのである。1947年
6月、再度日本に渡る前、故郷の両親の墓に詣でたカンドウ、「死に
よって一番恐ろしいのは沈黙である」と書いている。この本はその
沈黙を破った、カンドウの思想、信念を語るものである。
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