石田幹之助著作集・第一巻「大川端の思い出」、一高時代の回想も、実は芥川より優秀だった菊池寛

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 ・・・そもそも石田幹之助って普通はご存知ではないだろう。
1891~1974,東洋学者、歴史学者、「東洋文庫」勤務、国学院大
学教授などを歴任、『長春の春』1941が代表的な著作。「石田
幹之助著作集」はその死後、1980年から刊行され、その第一巻
が「大川端の思い出」、千葉県出身で?とも思うが、大川端と
云えば芥川を誰しも思い出すだろう。戦前からの東洋学者だか
ら、中国のことを「支那」と書いている。

 この第一巻は随筆、随想集でまず冒頭は幼年時代の思い出の
随筆、それが二篇「日本橋区蛎殻町三丁目の大川の下流の河岸
つぷち」、時代は明治の末年頃、大川とはもちろん墨田川であ
る。それがどんな様子だったか、水天宮の縁日の様子、江戸っ
子的な口調の文章「あらしんとこは、箱崎川の川辺に沿った所
で、土州様の下屋敷の筑山を真ん前に望んだところでした」

 旧制第一高等学校時代の同級生だった芥川龍之介、菊池寛の
思い出話が貴重といえば貴重。芥川と中国文学の関わりを述べ
たところはユニーク。芥川は閨秀(女流)詩人の魚玄機に相当な
関心を寄せていたそうだが、鴎外が『魚玄機』を書いたので「
やられた」と悔しがっていた、という。芥川は句作をかなり行
っている。さらに「後世において小説の評価がどう変わろうと、
俳句だけは百代に残る文字である」との芥川の文章。で漢文的
な文章も芥川は書いているが

 「ただし芥川君といえども、支那文学を専攻しているわけで
も、漢魏六朝の詩賦などを本格的に極めたわけでもないし、あ
の筆端に花を散らし、字間に芳霞むらがる底の名分も、四六駢
儷体に徹した人から見たら、なお・・・・・」

 菊池寛を高く評価している。「俊才」という言葉が当てはまる
なら、彼こそ第一であると断言している。ドイツ語の歌でも即座
に暗記したというし英語も東京高師の英文科に入学していたこと
もあり、英語力は芥川等より上だという。当時、皆がよく、読ん
でいたバーナード・ショーの文章も「本当に読解できていたのは
菊池君一人ではなかったろうか」と。

 後半は本についての蘊蓄だが、「東洋文庫」の帝王のような人
だから並の本好きとは異次元というもので、中国紀行、酒につい
て述べている。中国の酒についての雑学を延々と披露している。
ここらから東洋学者らしくもなってくる。石田博士自身が言うに


 「もともと私は学問自体がおもしろいからやっているだけ、偉
い学者が刻苦精励して勉強し、学問と心中しかねない熱心さで行
うとう話を聞くが、それは確かに本格とは思うが、私のような凡
下の徒にはそんな真似などできない」

 なるほど、である。




























 

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