石川淳『紫苑物語』講談社、槐書房、代表作とされるが、小説として荒唐無稽さが文学に昇華しきれていない
昭和31年、1956年に講談社から単行本『紫苑物語』が刊行
された。収録作品は最も長い『紫苑物語』、『安吾のゐる風景』
、『夢の見本市』、『灰色のマント』、1974年、昭和49年に槐
、えんじゅ、書房から『紫苑物語』他に『八幡縁起』、『修羅』
で三作品、これが講談社を刺激したのか、その後、講談社文芸文
庫、槐書房版と同じ三作品である。私は古書も古書の1956年の
講談社版『紫苑物語』を手にしているが、ページ数で三分の一は
『紫苑物語』でやはり代表作である。
オペラ『紫苑物語』新国立劇場 2012

『紫苑物語』。主人公は宗頼、もとは都の歌の家に生まれた。
七歳の時、すでに一角の歌人と見なされていた。だが自作の歌に
父親が朱を入れたこおtに不平不満を感じ、歌の道を捨て、無頼
漢の伯父の弓麻呂について弓を習い、十二歳ではやくもその道の
達人となった。十四歳で、ある権勢の家の娘を妻に娶ったが、こ
の妻、うつろ姫と呼ばれていたが、全くの醜女であり、また恐る
べき好き者、荒淫の極みの女であった。
十八歳で宗顕は父に疎まれ、ある遠い国の守、かみ、に任ぜら
れた。任地についた宗顕は狩りに明け暮れた。そうしているうち
彼は領地の彼方に聳え立つ山の向こうに行ってみたいと考え始め
た。だが目代の藤内は、あの向こうに住む人間は、およそ血が異
なる者どもだから、決して行くなと反対した。だが、ある日、宗
顕は意を決し、山に向かった。その頂上で宗顕と同じくらいの年
齢の若い男に出会った。その男は、この楽園を汚してはならぬ、
来るなと宗顕を追い返した。その帰りに、山の麓の谷川で若い女
に出会い、家に連れ帰り、寵愛した。
この女は国や館の中のこと、全て居ながらにして知るという
超能力をもっていた。それで宗顕は女から部下たちの放つ悪口
を聞いて怒り、次々と部下を殺害した。実は、この女、いつか宗
顕に射られ、かろうじて生き延びた狐の化身だった。だがその妖
術も宗顕の力には及ばず、狐であることを見抜かれた。だが宗顕
はいっそう女を寵愛するようになった。
そのうち宗顕はじこの魔神の如き力を試すため、いつかの山に
登り、あの若い男が岩壁に彫った仏像に向かい、狐が化けた弓に
矢をつがえて射ち込んだ。その途端に岩陰崩落、宗顕は谷底深く
落ち込んだ。岩壁に彫られた仏像のある一体に首がないものがあ
り、その落ちた首は悪鬼の形相であったという、ことで終わる。
ちょっと妖気に満ちた作品で、荒唐無稽なようだが、実に物語
として躍動感がある。でもこの作品を酷評する向きもあった。ち
ょっと読んで反発するのも、十分ありと思う。石川淳は凡作と佳
作がかなり明確な作家である。この荒唐無稽な話ながら宗顕の「
わしは一刻も早くあの岩山のいただきに行かなくてはならぬ。そ
うでなくてはわしというものが、この世にありうる力はうまれま
い」と叫ぶその悲願、これに感動を受ける読者もいると思うが、
私は物語としてはいびつでまとまりが欠如していると感じた。
ある種の絵巻物、として読むべきだろうが、小説としてはちょっ
と無理があると感じる。
新国立劇場
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