向田邦子、航空事故死の4ヶ月前の文章「〈マツダ〉東洋工業を訪ねて、第209回」1981年4月、
マツダが雑誌広告でかって続けていたシリーズ、「東洋工業
を訪ねて」は中央の著名人が広島市の東洋工業(マツダ)工場を
見学しての感想である。もちろん広告だから、いいことしか書
きようもないが、それはそれで各々の著名人の個性も出ていて
、楽しめる広告、CMであった。やはり東京、首都圏から遠い広
島という町、その宇品から向洋にかけて存在するマツダ工場、
私は長く広島市に生活の経験がある。東京、関西から遠い何か
寂しさを感じて生活した。この文章、向田邦子の刊行書物には
決して収録されないだけに貴重かもしれない。訪問期日は記載
されていない。だが1981年4月はほぼ確かだろう。8月22日に向
田さんは航空事故でこの世を去った。され、私はこのマツダの
連載広告が好きで毎回、楽しみにしてた。「広島」を遠雷の中
央の文化人、著名な方がどう感じたか、である。大学を出て私
はほとんど広島に足が向かないが、苦渋な記憶の中、懐かしさ
もある。またいつの日か
〈マツダ〉東洋工業を訪ねて・・・第209回
可愛いいロボットたち 向田邦子
二時間ほど工場を見せていただいて、私はある「人間」に惚
れてしまった。
ロボットである。
身長はにメートル
体重は千代の富士の倍はありそうである。
顔はないが、四角ばったボディの感じからいっても男性らしい。
やわらかなベージュ一色。余計な飾りは一切ない。
これがオートメーションで溶接するロボットである。ロボット
達は静かに並んで待っている。
音無しの構えである。
巨大なベルト・コンベアに乗って、超特大のたこ焼き器の如き、
出来かけの自動車のボシのもとが流れてくる。
とたんにロボットは動き出す。
おなかの中に仕掛けたコンピューターが、
車の車種を判断し、目にも止まらぬ早業で、
気の遠くなるような数の溶接をする。
これが終わると、静かに離れ、ちょっと恥ずかしそうに
首をうなだれて沈黙する。
その首筋あたりには、ひと仕事を終えた後の、男の色気すらある。
しかも、このロボットたちは、ひそかに名前が付けられている。
ご当地の球団にちなみ、山本浩二であったり、衣笠である
「今は衣笠がちょっとやすんでいます」
ロボットのそばで働いている人たちも、勿論生身の男たちはこう
言って、いとおしそうに笑っていた。
生身の男たちは、機械よりも正確に働いているように見えた。
機械は、人間臭く妙に愛嬌があった。
人間はロボットたちを愛し、ロボットは人間を尊敬しながら、
自動車を創り出しているように見えた。
1981年4月、マツダ本社での向田邦子
工場内溶接ロボット
広島港を臨む
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