池田勇人蔵相の1948年、「貧乏人は麦飯を食え」の誤解された真意、盟友の大平正芳が説き明かす
今さら言うまでもないが、当時の池田勇人蔵相での国会での
発言、というか言葉「貧乏人は麦飯を食え」は、庶民を小馬鹿
にした役人根性まるだしの(池田勇人は税務署上がり)放言として
批判的に常に引用されている。池田勇人はその後、安保の大騒動
で岸信介退陣後、首相に、それまでの態度を一転しての「低姿勢」
、政策は「所得倍増」宣言、だが根っからのスモーカーのせいか、
喉頭がんに冒され、1964東京五輪後、佐藤栄作を後継指名して退
陣した。年齢的にはまだ若かったと思う。
今でも宏池会はあるのかどうか、池田勇人が創設した派閥だと
思う。池田勇人の盟友は大平正芳、余談だが行け加えれば大平は
田中角栄と気が合った。1960年、岸首相退陣後、池田勇人内閣の
大番頭は大平正芳、のちの首相であった。
当時、大平正芳の池田勇人評がある
「だけどね、僕はね、一つの見方を持っているんだ。出来損な
いの茶碗で無格好なものでも、欠点の美があるんだ。池田さんも
それなんだ、俺がついてないと、本当に危ない」
もともと大平正芳は香川県出身、高松高商を経て東京商大に、
今の一橋大だ。もちろん高文に受かってだが、東大圧倒の大蔵省、
官界の世界、云うならば傍系だった。見習い期間を経て最初は横
浜税務署長、この駆け出し税務署長の指南役が当時の東京税務監
督だった池田勇人直税部長、池田勇人は京大、これも傍系だ。傍
系は共通だった。その後も、常に池田勇人の支援を受けた大平正
芳、昭和24年、池田勇人が吉田内閣の大蔵大臣に就任し、早速、
経済安定本部の公共事業課長に大平正芳を任命した。
池田蔵相の秘書官となった大平正芳、「大臣が今日、誰とあう
べきか、その順番は、私がすべてシナリオを書いた」という。
で「貧乏人は麦飯を食え」という池田蔵相の国会発言、大きな
反発を受けた。
「あの頃は、国民が十分食べるだけのおコメは日本国内で全然、
生産できなかった。不足分を外国から買おうにも、戦争で壊滅した
日本ではその外貨がない。だからコメで不足なら麦で補いましょう
、という当然のことを池田さんは言ったまでです。実は池田さんは
至って善良で単純な人柄ですが、生硬で欠点だらけ、バランスがと
れていない。何気なく、悪気なく言ったことでも結果、放言、暴言
に聞こえてしまう。貧乏人という言葉を使ったのがまずい、私なら、
国民が皆、たらふくおコメを食べられるのようにするのが政治の役
目です、と云うでしょうが、池田さんとなるとあれですから」
まあ、盟友の大平正芳だから善意の解釈ということだろうが、あ
の時代、ではコメは不足、海外からコメを買う外貨もない、なら麦
で、だが「貧乏人は」は実にまずかった。だが現実はそうならざる
を得ない。当時の状況では常識を言っただけ、ということだろうか。
いいとも悪いとも断定は出来ない。
しかし現在もコメ不足傾向、買う外貨はあるだろう。それを単純
に改革と言えるのかどうか、別に新奇なことなど出来るはずもない。
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