正直、信じられない大人の子供いじめ、絶対にあってはならないこと。毒親は撲滅すべき

  IMG_1679.JPG
 学校で生徒がいたずらなどをして教師が叱る、とか云うの
は除く、親がわが子、わが子でなくても他人の子供を「いじ
める」というのは親になって私も長いが、わが子をいじめた
ことは一度もなく、心を傷つけるような悪意の言葉、罵倒な
どは当然だが一度たりとも行ったことはない。

 だが私自身の母親は、なんと表現すべきか、宇宙開闢以来
レベルというのか、宇宙開闢以来、放たれたこともない悪辣
な罵詈、口汚く罵る下劣を通り越した言葉を天文学的な頻度
で私に浴びせ続けた。さらに私を生涯、不幸に導くようなタ
イムリーな誤った判断を繰り返した、幼い時代は、小5くらい
までは私にしばしば暴力をふるった、とくに幼年期は閉じ込め
、日本の民法は現在では世界も稀な「親の懲戒権」が堂々と
規定されている。さすがに「懲戒場にいれることが出来る」は
削除だが、しかしその理由はふるっていて「そのような施設が
ないから」だそうだ。民法審議会の面々の考えることはその程
度である。毒親、虐待親には好都合な法制度の国でこの国に育
つ子供はお世辞にも幸福とは云えないのである。だが「懲戒権」
がなお日本の民法から削除されないのは、それが明治以降の、
国家神道に依拠する家族制度と要素、「家父長」の権利という
具合に保守派から理解されているためで、産経は懲戒権削除絶
対反対の論調で見過ごせるものではない。

 子供を実際にもって、親による子供いじめなどあり得ないも
のと痛感したのである。何があろうと、子供をいじめる、口汚
く罵る、挙げ句暴力を振るうなど、警察に逮捕されないだけで
実質、強盗殺人に匹敵の重罪と言わざるを得ない。何か子供が
すれば諭せばいい、テストの点が悪けりゃ「つぎ頑張れ」と云
って励ませばいいだけだろう。加藤登紀子さんのご主人などは
娘さんに「テストは零点でいい!」、志望の私立中学に落ちた
ときは「あんな学校に入らずに済んで本当にめでたい!」私は
これを甘いとは思わない、それくらいでいい。私も成績で娘を
叱ったこともないし、イヤミを言ったこともない。励ましだけ
だ。

 だが私の親は、はっきり云うなら、賤民ではないが賤民以下の
人間だった。母親は幼い頃から私を心底、憎んでいたことは間違
いなく、「殺す」はしょっちゅう、決して「冗談」で発せられた
言葉ではないのは明白、三つ子の魂百まで、とはよく言ったもの
で最後に発したのは93歳のときであった。そのとき、さすがに「
これ最終的に縁は切れた」と思った。

 子供も成長、かなり前に成人を迎えたが、今もって可愛くてた
まらないのである、私は、・・・・・・親からの暴虐は限りない
が、例えば、小5の時、私は学習机がほしいと思っていた。あの
当時、学習机、もちろんあの頃、素朴な木工品であろう、時々、
欲しいと母親に言っていたが、あるとき母親はそれに怒り狂って
私に往復ビンタ、「このやろう、このやろう」と言って殴り続け
た。ただ、この「母親」、兄には一度も暴力、虐待を行ったこと
はなかった。くちはガサツでも。

 ・・・・・・それにしてもである。親が、わが子、別にわが子
以外でも子供を心底、憎悪しあらゆる厄災を与え続ける、まさに
死罪に値する悪行の極みであろう。無論、いい死に方はすること
はなかったが、私の被害、また一時が万事であの「母」の手にか
かって不幸のどん底に突き落とされた人、さらに動物は多い。こ
こまでの悪行を一人の人間が行い続けられるものか、自ら「反面
教師」と言っていたほどである。だが両親と毒親、どちらに生ま
れるかは、子供は選べない、あまりの重大事である。

 母親の死にあたっての子どもの気持ち、よく聞くが、その別れ
の悲しみは想像を超えるもののようだ。もう号泣だ、熊本県出身
でこの地のクラレ工場に勤務の50歳過ぎ、故郷の母親が亡くなっ
て、その妻の言うには「クソガキみたいに泣いて」と腹立たしそ
うに、・・・・・・だがそれが実は普通というもののようだ。
私は別れの悲しみは無論、毛頭なかった。それを幸運と解すべき
なのかどうか、何とも複雑な心境である。

 

この記事へのコメント