滝井孝作『無限抱擁』虚飾も感傷も排し、作者捨て身の態度で臨んだ稀代の私小説

まず滝井孝作の代表作『無限抱擁』だが、どれほどの人に
読まれただろうか、と考えると微妙な気分になる。人様の読書
傾向をとやかくは云うこともないが、実際には「ほとんど読ま
れていない名作」だろう。まず現代人から見て興味を持ちにく
い題材である。だからこそ読む価値はあるのだ。
まずこれは四篇の短編というのか準中篇から成っている。
1921年、大正10年8月に「新小説」に発表の『竹内信一』、同
年12月「改造」に掲載の『無限抱擁』、前後するが同年7月に
「新潮」に掲載の『沼辺通信』、さらに大正13年9月号「改造」
に掲載の『信一の恋」、それぞれの実は独立の四つの準中篇を
合わせて昭和2年、1927年に『無限抱擁』として改造社から刊
行されている、この中で全四章である。
第一章は、主人公の竹内信一が、吉原の女、松子をを知って
次第に熱烈な恋愛に引き込まれるさまが描かれる。松子は吉原
遊郭の女であるが、ある朝、堅物で通っている信一が、友人に
誘われ、吉原に行って、松子の素直な人柄に惹かれる、それ以
来、信一は病みつきになり、夢中になって通っていくが、貧し
い身の上、無理を重ねる羽目になる。松子はそんな信一をいじ
らしく思い、その求愛を受け入れていく。
第二章、その一年ほど後、生活のハリを失った信一が偶然に
松子と顔を合わせる。彼女は実はある裕福な男に落籍され、自
由の身になっていた、この巡り合いがきっかけで結婚に遂に、
こぎつける、までのいきさつが描かれる、
第三章は、松子との新婚生活の喜び、信一の務めと小説を書
くことが両立しない悩み、母を連れて嫁いできた松子の謙虚で
、つつまし遠慮の様子などが描かれる、だが松子は胸を病んで
亡くなってしまう。
第四章は「主人公の手記」と題されている。松子の死後、信
一と松子の母との関係が主として描かれる。信一は思い切って
松子の母と他人になることで再び、自由な精神を取り戻す。
作中の「信一」はいうまでもなく、滝井孝作その人であり、
作家の自伝というべきものっだ。作者の滝井はこの作品につ
いて「自身の直接経験を正直に一分一厘ゆがめず、こしらえ
ずに写生したもので、つまり筆者自身がモデルだ」と書いて
いる。
あらすじを読んだだけで感動的、といえば大げさでも、そう
いう風情に満ちている。主人公のなんとも生一本な誠実さ、決
しれゴマカシを許さずやらず、ムキになってしまう潔癖さ。そ
rれらに裏づけられた純粋な愛情、それに応じる松子の正直で素
直な態度、心、二人の何とも全身的といっていい愛情と信義が
その文章力のよって醸し出され、読めば納得の感動をもたらす。
しかし、つくづく感じるが今の御時世、このような作品が読
者にどこまで受けいられるだろうか、前時代的と思われてしま
いそうだが、そもそも読まれないだろう。滝井孝作さんは別に
「古い!」発想の人ではない、もう昔、芥川賞受賞『徳山道助
の帰郷』柏原兵三に、「ちょっと古すぎないか」と疑念を呈し
たことでも分かる。
別段、大げさ表現はなく、その逆で、一語一語、吟味され、
浮ついた言葉、表現を避け、確かな写生を目指し、粘り腰の仕
事ぶり、が結果的に力強くもある表現をもたらしているのでは
ないか。もちろん地味で目立たない。大正期の代表的な私小説
作品である。
滝井孝作はもともと俳人であり、『海紅』の同人として、長
く句作に精進してきた。『海紅』では「直接的表現、自己拡充
、人間味の充実」を主張し、実生活に即した句作を主張してい
た。「ぼくは、それをものにした」と述べている。句作におけ
る主張をそのまま小説の創作に応用したというわけで、「強者」
の文学の特色とも言える。遊郭の女性相手の恋愛の記述が、す
こしも下卑た表現にならず、非常に純粋な表現は、脱帽という
べきか。
滝井孝作は常に芭蕉の幻住庵の記に託し、「瞬間々々に消滅
する幻影に似たものをしかっりと描き止める」態度で創作に向か
う、と語っている。いかにも俳人らしい言葉だが、そこには峻烈
孤高さが潜んでいる。文章は実に渋い詩情が込められているよう
だ。基本、地味な表現ばかりだが、地味な描写の美しさを抜きに
この作品の魅力は語れまい。
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