『山の音』川端康成の、いわゆる「代作」問題について.北條誠との共著説
著名作家の作品に明確に代作が存在することは、一般人が
知らないだけで、実はありふれたことである。世界文学でも
大デュマ、の『モンテ・クリスト伯』、『三銃士』はよく知
られているが、ショーロホフの『静かなるドン』も多くの部
分が代作でロシア人ならよく知っている事実だ。超売れっ子
となった松本清張、あまりの量産に当時の瀬戸内晴美が「全
て自分で執筆はあり得ない」と疑念を呈した。清張は否定は
したが、掛け持ち連載の多さから「清張工房」で代作がなさ
れていたのは紛れもない事実だ。
職業作家が代作を利用は古今東西、ある意味、当たり前な
話だが、絶対に代作があり得なかった作家もまた多い。そりゃ
芥川の代作や葛西善蔵、近松秋江の代作者なんていないだろう。
また大江健三郎、三島由紀夫、川崎長太郎など多くの作家は、
そもそも代作はない。要は代作に依存かどうか、タイプがある。
だが「大作家」の中には、新人に勉強の機会、また文壇へのチ
ャンスを与えるという意味合いで、徳田秋声などはときに共著
という形も使って代作を自作として発表していた。広義の代作
なくして、文学はない、と言って何の過言でもない。丹羽文雄
も大変な量産人気作家だったが、アイデア、テーマ、また試作
の作品などを新人、一般文学愛好家から受け取って、それをベ
ーす執筆は常態化していた。あの多作を見れば当然かもしれな
い。
ここで川端康成だがノーベル賞作家であり、その代作にふれ
ることは表向きはタブーである。出版社にとっては川端は絶対
に守り抜く作家である。が、事実は事実だ。川端康成の代作の
特徴は比率が高いこと、代作の内容に何種類も異なったパター
ンがあること、何食わぬ顔で代作依存を常態化していたことで
ある。編集部介在の代作、というパターンも特有で、その結果
、川端作品は往々にして連載が長期化、で、出来た作品はあま
りにつぎはぎだらけ、とう結果になりがちであった。
だからこそ、あの稲垣足穂は川端を徹底的に軽蔑し、「川端
なんか千代紙細工や」と罵倒していた。
川端康成の場合、「少女小説」は全作、女性作家による代作
である。無名な女性作家が多かったがちょっと有名な女性作家
では中里恒子がいる。もう一つのパターンは、編集部に出され
た原稿があまりにひどく、編集部が他の作家に依頼して大幅に
書き直すというケースだ。ただでさ川端は睡眠薬の常習傾向が
あって、意識朦朧たる中で執筆、およそ発表するに値しない、
散々な原稿もあり、編集部が介在しての大幅な書き直し、実質
「代作」という作品が多い。それと川端に指示していた北条誠、
さらに住み込んでもいた石濱恒夫に代作を行わせることだ。
三島由紀夫や伊藤整などが代作、という噂もあるが、私はこれ
はあり得ないと断言したい。すでにというか新進、また実績あ
る三島や、伊藤整がおいそれと代作を引き受ける道理はない。そ
もそも、いくら川端に見せかけようとしても自らの作品の筆致は
必ず出てしまう。
前述の通り、稲垣足穂は川端康成をこき下ろしていたが、三
島由紀夫はまた熱狂的に足穂に惚れ込んでいた。中央公論社の
日本の文学、「稲垣足穂、内田百閒」の解説も三島由紀夫、月
報での対談で「僕は今後、どんな馬鹿なことをやって世間から
嘲笑されようと、稲垣さんだけは分かってくれる、と思ってい
るんです」と「私は生涯、稲垣さんと会わないつもりです」と
一件奇異な発言を行っている。はるか年長の稲垣に「生涯、会
わない」とはまた奇妙だし、「なにか妙なことを考えているな」
と私は直感したが、その年に陸自乱入、割腹である。ともかく
三島は晩年になるほど川端を徹底的に貶していた。「もはや、
作家ではない」、稲垣への異常な私淑を思えば、・・・・・で
ある。川端自殺の遠因が広義,狭義の代作問題と三島の批判、
その割腹による精神的衝撃、川端は怯えていたという。
川端の通常の代作は北条誠、石濱恒夫、澤野久雄の担当であっ
た。だから『女であること』などはおよそ内容が、川端が通じ
ているはずもない、実社会の描写、表現、設定で石濱恒夫作であ
る。でも川端作となってしまったが、石濱恒夫は愛着がこの作品
にあった。あったからこそ、フランク永井のヒット曲「こいさん
のラブコール」の歌詞の中に「女であること、あゝ、夢見る」と
入れているのだ。作家としては北條誠(最近、骨法で同姓同名がい
るが全く別人だ)は非常に実績もある。さらに澤野久雄である。
つまり北條誠、石濱恒夫、澤野久雄が川端康成の代作作家という
ことになる。出版関係者の証言もあるから確かだし、北條誠が
愚痴っていた、という証言もある。
ところで、・・・・・・だ。『山の音』代作疑惑!については
同志社大学 文化情報学研\研究科の孫、金明哲の両人が数学的な
手法を用いてそれを判定している。だが致命的な誤りは、いかに
数学的手法を駆使しようと、比較判定の作家が「三島由紀夫」だ
ということである。これが根本的な誤りである。あの代作を請け
負っていた三人の作家、をまず考えねばならない、から要は、ナ
ンセンスというものだ。端的に言って三島の代作説は信憑性は
低いというほかない。専属というと何だが、三名の作家、一人は
住み込みがいたのである。
同志社大グループは句読点の打ち方、文章パターンの特徴量、
などを数楽統計学的に検証し、「川端作品と見るのが妥当」と結
論づけているが代作を三島由紀夫としているのはそもそも誤りで
ある。
では北條誠、石濱恒夫、澤野久雄の作品との比較、は?やってい
ない。でなければ無意味である。この三人は非常な巧者である。
『山の音』は昭和24年9月から昭和29年4月まで16回、さまざまな
異なる雑誌に発表されたものである。ちょっと長すぎる期間であ
る。子飼いと言える北條誠、石濱恒夫だが独自の仕事はあったか
ら、それは多忙である。代作だけにかかりきり、とはいかない。
そこで川端の原稿に大幅に手を入れた、可能性が高いはずである。
それにしても『山の音』最後の劇的場面、そして最後の部分
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食事のあとで、修一がまっさきに立って行った。
信吾もうなじの凝りをモミながら立ち上がって、なんとなく座敷
をのぞいて灯をつけると、
「菊子、からす瓜がさがって来てるよ。重いからね」と呼んだ。
瀬戸物を洗う音で聞こえないようだった。
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私は『山の音』を読んで北條誠の『孤独の花』、『また逢う日
まで』などとの情感の共通性を感じてしまう。真実は『山の音』
は川端、北條の共著、仕上げたのは北條誠でなかったかと推論す
る。
この記事へのコメント
ただ上段の松本清張への疑惑を述べたのは瀬戸内晴美ではなく、平林たい子です。清張の反米的論調を嫌って中傷したようです。
清張さんはこの先輩格の平林にていねいに反論してますね。
ますますのご健筆を。