牧野正巳『土胚子(どぴーず)』1959、「建築進化論」の建築家がアフガニスタンに一年滞在の貴重な見聞記
この本は貴重だ。日本人のアフガニスタンに滞在、体験記は
多少あるが、正規に一年間滞在しての見聞記なのだ。イスラム
原理主義的な勢力に支配されている現在では想像がつかない。
著者の牧野正巳氏は明治36年、1903年、東京生まれ。大倉土
木から満州にわたり、司法部その他で建築部部長などを歴任、
昭和21年、1946年に引退、特別調達庁、極東米軍での建築の仕
事に携わった。昭和31年1、1956年12月から翌年195712月まで
アフガンに滞在。
アフガニスタンの首都、カブールの市長が東京都500年祭、
(1956年、昭和31年に開催された)にやって来た。そこで日本の
近代建築を見て歩いているうちに、カブール市庁舎の建築につ
いて日本の建築家の協力を得たい、と考えるに至った。カブー
ル市長の依頼を受けた日本の建設省は人生の結果、二人の建築
家と一人の造園業をアフガンに送ることにした。その建築家の
一人が牧野正巳氏だった。
このような経緯でアフガン(アフガニスタン)に渡った著者は、
1956年12月から1957年12月までカブールに滞在、市庁舎の設計
と建築の現場での指導、また空いた時間を利用してのアフガン
の各地方への旅行を行った。実に貴重で稀有な体験である。そ
れをエッセイとして一冊にまとめたものだ。
一種の雑文だが単に旅行者ではなく、明確な職務を与えられ
てのアフガン、カブール滞在であり、実際にカブールの役人や
現場の労働者に接したのだから興味深い。現在との違いもまた
、である。建設省とカブール市長との間で著者の給料について
事前の合意がなあれていたが、いざ行ってみたら著者の牧野氏
がカブール市長と面談すると、月給を30ドルも値切られ、しか
も二ヶ月も遅れたという。
だが、これでも上々の話で、著者より先に水道工事でカブー
るに来ていた日本の技師たちは、月給を50ドル値切られ、しか
も8ヶ月も遅配となったという。労働者を使うのも大変でイスラ
ムである彼らは仕事の時間中でもお構いなく好きな時間に礼拝
するし、土の運搬もグループでやると、一人が礼拝すると他は
遊んでいる。しばらくするともう一人も礼拝を始める。とにか
くイスラムは日に5回、礼拝が戒律で義務付けられているので
ある。だから建築はなかな、はかどらない。さらには断食月、
ラマダンがある。1ヶ月間だ。日の出から日没まで一切、何も
口にしない。当然、仕事はさっぱりである。
女性はまたチャドリという顔から体、全身を覆う布をかぶ
って目だけが出ている、という出で立ちで外出する。刑法も
なければ民法もない。イスラムの聖職者が裁判も行う。住宅
は土を固めて日に干したレンガで作られている。そのような
レンガを満州では土胚子、どぴーすというので、満州に長く
滞在した牧野氏は本のタイトルにそれを使ったのだ。トイレ
は市庁舎のトイレも国立銀行のトイレもただ地面に穴を掘っ
ただけという、原始的なもの。役人が工事予算を流用したり、
賄賂を取るのは日常茶飯事、・・・・・・という見聞が大半
の内容で、当時、イスラムの知識もなかった日本人には意外
なことばかりだったろう。で残り半分が著者、牧野氏がアフ
ガン各地を歩いて撮った昔の仏教寺院の遺跡などの画像、そ
の旅行記。旅行記としてはちょっと、まとまりがないが貴重
には違いない。
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