松本清張の代作問題、清張工房について。これで作家と言えるのか?
松本清張のあまりの多作、量産から「誰か他人に代作させて
いるのでは?」という疑念を持って、またその疑念を口にした
人は結構多い。正式!に噛みついたのは瀬戸内晴美(その後の寂
聴)だったが数多くのひとが疑問を呈している。大宅壮一もそう
だし、麻生良方、、枚挙にいとまがないのである。
松本清張の量産もピークに達していた昭和40年すぎころ、あま
りの月産枚数から「どう考えてもゴーストライターがいる。しか
かも多数いるのではないか」と具体的に「計算」した人が出た。
当時、「日本防人協会」から発行されていた『防人』という同人
誌において「松本清張への疑問、松本清張の1回の食事時間は47
分が限界だ。最大で47分ということだ」昭和42年2月のことだ。
執筆は長岡潤三という人だ。
当時、松本清張は月刊、週刊の雑誌などへの連載は「中央公論」
に『古代史疑』、文藝春秋に『私説中江兆民』、宝石に『Dの複合
』、現代に『流れの結像』、週刊朝日に『黒の様式』、週刊新潮に
『穏花平原』、週刊文春に『昭和史発掘』週刊現代に『棲息分布』
、読み切りで』小説新潮に『偽狂人の犯罪』、小説現代に『七種
粥』、雑誌文芸に『種族同盟』、その他で『天保図録泥流の巻』、
さらに『京都の旅』第二巻、それ以外でも執筆があったそうで、こ
れはスーパーマンを通り超えているというほかなかった。
長岡氏は「本当に一人の人間にこれだけの執筆が可能なのか」と
その原稿枚数を計算したら月産で原稿用紙2700枚、休日なしで一日
で90枚以上となる。ただ機械のように書くだけでなく、取材したり、
書物で調べたり、思案したり、いくらでも時間が必要だが、単純に
原稿用紙に書くだけ、としても一回の食事時間は47秒、とでた。
換言すれば、一人で書く、自分で創造して書くなど不可能という
ことだ。絶対に少ないない人数のゴーストライターがいるというこ
とでらう。代作者の群れである。それを清張工房と言うならその通
りだったろう。
そのゴーストの最たる人物が福岡隆だった。昭和40年ころまでは
松本清張の講演旅行、取材旅行にも常に同伴していた。清張はほぼ
口述筆記、という様式だった。その口述を原稿用紙にかくのが福岡
隆の仕事だった。実は口述筆記という手法の、実は代作であったと
される。この頃、大宅壮一が「清張が一人で書けるはずはない。代
作者がいるはずだ」と言ったのがきっかけで講演会への福岡の同伴
はとりやめになったという。福岡が昭和42年まで9年間に「口述筆
記したのは原稿用紙で7万枚に及ぶ。単行本で70冊、われながら、
たいしたものだ」と昭和43年9月にある雑誌に書いている。「昭和
35年に『波の塔』、36年に発表の16作品で『砂の器』。『わるいや
面』など増え、昭和37年から短文も含め、新作は全て速記した」と
いうのだ。
代筆を辞める直前、『黒の様式』と『昭和史発掘』は純然たる、
福岡の作品だという。『昭和史発掘』は6回にわたって週刊文春に連
載されたが、「朴烈事件」での盗作問題が表面化、そこで一人のゴ
ーストライターが浮上した。『昭和氏発掘』の内容が弁護士の森長
英三郎氏の書いた「朴烈金子数子事件」(法律時評昭和38年3,4月)の
内容そのままだったからである。
「週刊文春」も森長氏に「引用の許可」を求めていたが、「出典
明示」義務は果たされず、おまけに著者が松本清張。森長氏は文春
に抗議文を送った。これに対する電話を文春からかけたのが週刊文
春のスタッフライターの大竹宗美。実は大竹宗美も清張工房の一員
であったという。
実は『昭和史発掘』を書いたのが週刊文春のスタッフライターの
まさに大竹宗美それ自身であったという。
「昭和史発掘を大竹宗美が書いたことは確実だ。文春の社員も、
校了間近で、大竹自身がゲラを見ながら加筆訂正しているところを
目撃している。それは単なる校正ではあり得ない」
また「大竹は週刊文春の編集部によく愚痴っていたという。清張
が原稿料をほとんど全て吸い上げて、本当の作者の自分には入って
こないんだから、と」三田一夫、正論新聞社社長の証言だという。」
これらに清張は「一切ノーコメントだ。清張工房なんかないし、悪
意でいうやつは相手にしない」と、まずは否定していた。
大竹宗美も「清張先生にご迷惑がかかりますから。私もノーコメン
トですが、一般論ですが、ノリとハサミでつなぎ合わせただけの本が
多すぎますね。あ、清張先生のことじゃないですが」
さらに清張工房、ゴーストライターの行った「盗作」事件も多い、
警察に告訴されたのは『深層海流』が三田一夫氏が三田和夫名で発
表した『赤い広場、ー霞が関』からそっくり引用していた件である。
不起訴になったが明らかな盗作、それも代作者による盗作であった。
正直、松本清張の業績!は川端康成のケースと同じで、結局、作家
として評価はできない、ということであろう。『或る小倉日記伝』は
いいとしても。
この記事へのコメント
ところで、代作だとすると、著作権料は、どっちにはいるんでしょうね。
川端は、三島に「ノーベル賞の受賞を譲ってくれ」という懇願の手紙をだしていて、晩年、未亡人が公表しましたもんね。
欧米では、川端は「ポルノ作家扱い」です。
川端の自殺も、関連してるんじゃないでしょうかね。