内田百閒『阿房列車』、百間の代表作扱いだが、

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 さて、内田百閒のある意味、代表作だろう。別に内容が特別
どいこうでなく、内田百閒といえば『阿房列車』である。「阿
房」は「あほう」だと思う。百閒は「阿房というのは、人の思
惑、調子に合わせてそういうだけの話で、自分で勿論阿房だな
どと考えているわけではない」とまずは断っているのだ。人の
思惑とはでは何かだが、基本的に、用事がなければその場所に
行かない、ということだろう。別に目的もなく、ぶらりと出か
けることは誰でも特段に珍しいとは言えず、あまり面白いこと
を百閒先生、言われてないとも思う。ま、用事もないのに先生
は出かけていく。付き添いが当然いて国鉄職員、中村武志の部
下である。で百閒先生は用事もない、冗談旅行だから一等車で
なければならない、という。二等車は半端だし、帰りは帰ると
いう用事があるから、無駄を省くため、三等車に乗るという。
「行きは一等、帰りは三等、一栄一落これ春秋で大変結構な味
がする」

 外に出るのがいい季節、時候になると百閒先生は阿房列車に
乗りたくなる。特別阿房列車は東京大阪間、区間列車は御殿場
回りの静岡行きだ。その他、鹿児島本線、東北本線、奥羽本線
を運転する。旅の相手は、これが中村武志の部下の平山という
と思うが、国鉄勤務のヒマラヤ山系と呼ぶ男で、若いし、邪魔
にはならぬと先生は言うが、実に理想の旅の友だという。どこ
に行っても仲間がいて、まあ同僚だが、がいて便宜を図ってく
れる。先生もヒマラヤ山系もその伝手を悪用はしない。私が昔、
小学生時代、画を習いにいっていたが国鉄職員で、生徒を大勢
つれて離れた場所に写生に行くのに、国鉄バス無賃乗車、同僚
の車掌に「おい、ちょっと乗せてくれ」車掌は実にいやーな顔
をしていたものだ。まあ、それに類することは先生はなかった
ということだろう。

 阿房列車が遅れて、乗り換えの列車は動き出している。動い
ている列車に乗るのは規律違反だから乗らない。だが腹が立つ
ら、駅長室に文句をいいに行きたいが、「こちらに理があって
相手に迫る場合、相手をのっぴきならない状況に追い詰めるの
は、君子、紳士の為すべきことではない」と。

 百閒先生は妙に理屈っぽい、窓口に「遺失物取扱扱所」と書い
あるのが気に入らない。「遺失物ってなくなったもんだろう。
なくなったもを、どうやって取り扱うのか」といって拾得物取扱
所というべきだという。ヒマラヤはじっと黙って相手にならない。

 先生は朝寝だ、元来、午後になって起きていたという。小学生
時代からタバコだったという。そんなときヒマラヤは途中一泊の
案を出す。阿房列車に暦日はない。

 一等車の乗客はマナーがいい。盛岡で雨の中、箒を買うため荒
物屋を探している。汽車に乗って座席を清掃のためだ。だが手頃
の箒はない。ヒマラヤが靴磨き用のブラシを買ってきてくれる。
飲酒していい調子になると鉄道唱歌を歌い、線路の継ぎ目を走る
音が面白いという。

 別にものすごく、面白くもなく、さほど?とは感じる。でも大
マジの頑固ユーモアがある。

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